見出し画像

【国語力を高める100冊】 #15「科学革命」/『科学哲学への招待』野家啓一 ちくま学芸文庫

 サイエンスという言葉は、もともとは「知識」という意味でした。つまり、サイエンスは本来、「知っている状態」という、全般的な知識を意味する言葉でした。しかし、やがて科学が独立した学問体系を意味するようになり、サイエンスという言葉は、原義の「知識」という意味から離れ、現在の「科学」という意味で使われるようになりました。こうした変化の背景にあったのは、十六-十七世紀にヨーロッパで誕生した科学革命です。コペルニクスの地動説や、ハーヴェイの血液循環説、デカルトの「我思う。ゆえに我あり」、ニュートンの近代的力学などは、これらの時代の出来事です。科学革命は、古典に基づいた自然の理論体系を脱し、近代的な理論体系へと遂げたところに、その画期性があります。ちなみに、2024年の早稲田大学の法学部の国語(現代文)では、コペルニクスの地動説に科学的意義を認めるジョルダーノ・ブルーノの思想を論じた文章が出題されています。


■SAPIXメソッドで大学受験を制する。


『科学哲学への招待』野家 啓一 (ちくま学芸文庫、2015)

 しかし、これらの科学革命は、人々の生活に直結していたわけではありません。コペルニクスにしても、デカルトにしても、科学史の観点から見れば、その功績は偉大なものでしたが、当時の人々の文明水準や幸福度を大きく底上げするようなものではありませんでした。科学が社会や人間の幸福のために使われるべきだという考えが生まれたのは、啓蒙主義が盛んな十八世紀の頃であり、さらに十九世紀には、科学は技術と結びついて社会を変える力として期待されるようになりました。科学が学問として制度化されたり、専門家といった科学職業集団が誕生したりするのもこの頃です。この時期の科学的発明の業績は目覚ましいものであり、例えば、メンデルの法則の発見(1865年)、ガソリン自動車の完成(1886年)、活動写真の発明(1891年)、トラクターの発明(1892年)、動力飛行機実験の成功(1903年)などが挙げられます。まさに科学の力によって、人類は文明を大きく前進させたと言えます。この時代を、「第二の科学革命」と呼ぶこともあります。

 さて、私たちの生活に多大なる恩恵をもたらしている科学ですが、では科学の合理性は一体、どのようにして担保されているのでしょうか。学問的方法として科学をどう扱うべきかといった議論はさまざまありますが、ここでは二人の重要人物を挙げておきたいと思います。まず、カール・ポパーです。ポパーは科学の正しさの基準を「反証可能性」に求めました。つまり、科学とは提出された仮説に対して、反証可能性という概念に訴えて、その妥当性を画定させる試みだというのです。ポパーは、反証可能性に基づいた議論のあり方を以下のように定式化しています。

$${P_1\toTT\toEE\toP_2}$$

対象となる問題$${P_1}$$に対して、暫定的な理論的仮説を構築する$${TT}$$を行い、その仮説を批判的に検討する$${EE}$$の段階を経て、$${P_2}$$という新たな問題を生み出します。この$${P_2}$$は、$${EE}$$によってエラー排除されているため、$${P_1}$$よりも精度を増した新たな問題状況ということになります。この一連の過程が反証可能性です。ここで大切なのは、科学には最終的に辿り着く正解があるわけではなく、絶えず批判的検証にさらされ続ける暫定的な「真理」があるだけだということです。科学的真理だから疑ってはならないのではなく、疑うからこそ、科学的真理に近づくというのがポパーの考えでした。

 もう一人の重要人物は、トーマス・クーンです。クーンの考えは、完全に中立的な科学的事実というものはないというものです。通常、科学は客観的で普遍的な知だと思われているわけですから、クーンのこの考えは大変驚くべきことです。クーンは、ある科学的な出来事が「事実」だと確定されるには、同時代の科学共同体の研究作法に大きな影響を受けると述べました。つまり、科学的真理は普遍的なものではなく、時代の制約を受けざるをえないということです。そういう意味では、科学は世界観の問題なのであり、さまざまな社会要因がそこには絡んでいます。クーンは、同時代の科学者が依拠する研究手法を「パラダイム」と表現しましたが、既存の研究方法では変則事象を説明できないとき、科学者は従来の研究手法を根本から変える必要に迫られます。クーンはこれをパラダイム転換と呼び、この構造転換によって、科学的「事実」の意味も変わってしまうと考えたのでした。ポパーとクーンのそれぞれの科学観を比較すると、ポパーは常に批判的検討にさらされ続ける営みが科学だと考えているのに対して、クーンは、科学は時代に制約された相対的なものにすぎないと考えています。その点で、両者は大きく異なります。実際、1965年にロンドンで行われたシンポジウムで両者は対決すらしているわけですが、しかし、ポパーにしてもクーンにしても、科学に普遍的な絶対知はないという点では、共通の認識を持っています。科学は客観的な知だと思われていますが、何を「客観的」とみなすかという点において、科学内部では様々な議論があるのです。野家啓一『科学哲学への招待』は、科学内部の議論が歴史的にしっかり整理されていて、大変勉強になります。今回は、科学の内部について述べてきましたが、科学の外部、すなわち科学が社会に与える影響については、「科学コミュニケーション」のところで書くことにします。


■Y-SAPIXなら,中学生が「教養」を学べる講座アリ!



■メルマガ会員募集中

■大学受験、選ぶなら。

■大学受験に関する資料も予約受付中!《無料》

■#14「合理主義」

■#13「自由」

■#12「自我」

■#11「近代」

■#10「教養」

■#9「論理」

■#8「要約」

■#7「理解」

■#6「論旨」

■#5「聞く」

■#4「話す」

■#3「書く」

■#2「読む」

■#1「考える」

■大学入試情報を無料でお届けします!

■情報収集をご希望の方はこちらをホーム画面に追加してください!


この記事が参加している募集

Y-SAPIXでは、大学受験に関する情報を発信しております。週ごとの定期配信で、お手軽に情報を入手したいという方は、こちらのボタンから「メルマガ会員登録(無料)」へお進みください!