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【国語力を高める100冊】 #13「自由」/『自由論』J.S.ミル 岩波文庫

近代の理念のひとつに「自由」があります。前近代の人々にとって、「自由」は目の前にないものであり、なんとしてでも手に入れたいものでした。前近代においては、地動説を唱えたガリレオが裁判にかけられ有罪とされたり、国王が課す重い徴税によって商業活動の自由が制限されたりというふうに、人々の自由は、巨大な権力の前におおいに制限されていました。しかし、近代になると、自由を求める人々の精神が歴史を大きく動かしていきます。神の存在証明に汲々とする伝統的な学問は影を薄め、客観的な理論体系に基づく近代科学が誕生し、イギリスやフランスでは、課税を強化しようとする王権に対して、ブルジョワジーが商業活動の自由を守るために反抗しました。まさに「自由」という理念が近代を突き動かしてきたと言えるでしょう。もちろん、民主主義という理念も自由の闘争の果てに辿り着いた政治原理です。


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しかし、民主主義の時代にも、自由の脅威となるものがあります。それは多数派の専制です。政治の世界は言ってしまえば、統治者と被統治者に分けられます。統治者は物理的な権力を独占している存在であり、その気になれば被統治者を踏み潰すことなど朝飯前です。ですから、被統治者は、統治者に抑圧されないように、自分たちの自由を守らなければならない。これが、自由の闘争の歴史の本質です。しかし、革命や闘争によって権力から自由を勝ち取り、市民自らが主人公となった民主主義社会においても、「多数派の専制」という、自由への新たな脅威が生じました。市民たちの間に、多数派、少数者というヒエラルキーが生じた時、多数派が数の暴力を使って、少数派を追い込み、政治的に沈黙させることは、現代社会でもしばしば観察できるところです。ミルが『自由論』を書いた一八五九年のイギリスにおいては、統治者の抑圧は警戒されても、市民社会における多数派の抑圧はほとんど問題視されていませんでした。ミルは、この二つの専制を自由の脅威と考え、『自由論』を執筆したのでした。

ミルがなぜ自由を最大限に擁護するのかといえば、それは人間の幸福のためでした。ミルは、思想の自由や意見の自由が保障されることは、個人の満足だけにとどまらず、人類の発展にも寄与すると考えました。なぜなら、意見の多様性や個人の想像力は、人々に真理を見極める力を涵養させ、社会に活力を与え、総体的に人間社会をより良くするに違いないからです。逆に、統治者と多数派の専制を許してしまえば、個人が持つべき自由は抑圧され、議論も活性化せず、権力に追随するだけの閉塞した思考停止社会を生んでしまいます。ミルのこの洞察は、専門家主義、同調圧力、ポピュリズムといった問題を抱える現代社会にもそのまま当てはまる指摘でしょう。ミルの『自由論』を読む意味は、まさにここにあります。自由の擁護は人類の幸福の底上げに直結するというミルのこの考えを、どのように活かすのかということが、私たちの課題でしょう。

さて、ここで取り上げたいのは、個人の自由はどこまで擁護できるのかという問題です。思想や意見の自由は尊重されなければなりませんが、社会の構成員がそれぞれ思い思いの自由を行使してしまったら、社会は混乱してしまうのではないでしょうか。むしろ、秩序を守るためにも、権力が、個人の自由をある程度、制限するのは致し方ないのではないでしょうか。その場合、権力が、個人の自由に介入できる基準は一体、どこにあるのでしょうか。自由を擁護しながらも、その自由が混乱を招きかねないというこのジレンマについて、ミルは、どのような解決策を用意したのでしょうか。

その原理とは、誰の行為の自由に対してであれ、個人あるいは集団として干渉する場合、その唯一正当な目的は自己防衛だということである。文明社会などの成員に対してであれ、本人の意向に反して権力を行使しても正当でありうるのは、他の人々への危害を防止するという目的の場合だけである。

(『自由論』岩波文庫、J.S.ミル著 関口正司訳 27頁)

これは、「危害原理」(あるいは、自由原理)と呼ばれるものですが、ここでミルが述べているのは、権力が個人の自由に踏み入ることができるのは、あくまでその個人の行為が他の人々への危害を生じさせている、あるいは生じさせることが明白な場合に限るというものです。分かりやすく言えば、他の人に迷惑にならない範囲であれば、何をしても自由だということです。これは、極めて当たり前なことが言われているにすぎないと思うかもしれませんが、具体的な事例に当てはめて考えると、非常に複雑な問題であることが分かります。たとえば、ヘイトスピーチは、他の人々への明白な危害だと言えるでしょうか(私は言えると思います)。また、パンデミックにおいて、マスクを着用しないことは、他の人々への明白な危害だと言えるでしょうか(私は言えないと思います)。このように何を危害と認めるかは、非常に微妙で複雑で、社会の構成員が徹底的に議論しなければならない問題です。ミルの『自由論』は哲学の古典ですが、現在の問題を考える上でも、アクチュアルな論点であり続けています。


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