【国語力を高める100冊】 #5「聞く」/『対話の技法』(納富信留 笠間書院)
前回は、「話す」こと(【国語力を高める100冊】 #4「話す」/『日本語からの哲学』(平尾昌宏 晶文社))について書きました。
当然ながら、対話は、相手の話を聞く人がいなければ成立しません。というわけで、今回は、「聞く」ことについて考えてみたいと思います。
「聞く」ことは、あまりにも日常的な行為のために、なかなか考察の対象にならないものですが、「聞く」を分節してみると、いくかの段階があることに気づきます。「聞く」とは、相手の音声を単に聴覚に響かせることではなくて、相手の話を「理解する」ことであるはずですし、あるいは、相手の話を理解して「行動する」ことまで、「聞く」という言葉には含まれています。指示を守らない子供に、親が「ちゃんと聞いてたの?」と怒るケースが、すぐに思い浮かびますね。
とはいえ、聞いている以上、「理解」はしなければいけませんが、「行動」するかどうかは、当人の判断です。ここで大事なのは、行動するかどうかの前に、そのことの是非について必ず考えねばならないということです。
つまり、「聞く」には、価値判断が入ってくる。相手の言うことが正しいと思えば、言う通りに行動すべきですし、間違っていると思えば、疑問を呈し、できるなら自分の考えを述べた方がいいでしょう。「聞く」ことは、従順であることを意味しません。
今回、紹介するのは、『対話の技法』(納富信留 笠間書院)という本です。
著者の納富氏は、対話は、一方的に言いたいことを言うことではないと言っています。対等な相手との言葉のやりとりの中で、自分の無知を自覚したり、既存の考えを相対化したり、そして、意想外な発見に出会えることが対話の意義であると、納富氏は述べています。つまり、相手の話を聞くことを通して、自分が変容していく、そのプロセスが対話の醍醐味だと言うわけです。
もしかしたら、今言ったことは綺麗事だと思う人もいるかもしれません。現実の社会では、相手と対等な立場で誠実なコミュニケーションをする機会はそうそうなく、発言力を持つ者が自説を滔滔と語って議論を打ち切ったり、あるいは同調圧力によって結論が予め決まってしまっていたりということが多いのではないでしょうか。現在は、対話不全の時代であると言ってもいいかもしれません。正直、私も、このような真剣な対話ができる相手はいません。
しかし、対話の相手は目の前に相手がいることを必要条件としないと私は思います。最近、私は、出勤前に朝食を食べながら、小林秀雄の講演CDを聴いているのですが、ひとり心の中で「ああ、そうか」「小林秀雄はそのように考えるのか」といった自問自答をすることがしばしばです。
一見、一方的に見える講演や集団授業でも、その話を聞きながら、ちゃんと考えてさえいれば、十分、双方向のコミュニケーションと呼べると思います。聞くことは、自分との対話です。聞くことは、自分が信じてきたこれまでの価値を吟味することと切り離せません。聞くことは、最終的に自分に行きつくのです。
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