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【国語力を高める100冊】 #14「合理主義」/『信仰』村田紗耶香 文藝春秋

たとえば、しばらく雨が降らず水不足で悩んでいたとします。この時、呪術や祈祷に頼ろうとする為政者と、ダムの建設や貯水タンクの整備を行おうとする為政者とがいたとしたら、あなたはどちらを信用しますか。それは、もちろん、後者ですよね。前者は、水不足の対策として、呪術や祈祷による効果が根拠不明なのに対し、後者では、水不足の対策として、理に適った対策を講じているからです。では、両者の違いはどこにあるのでしょうか。ある事典では、合理主義について、

「世界が現にあるようなかたちで現象していることには何らかの論理的に必然的な根拠があると考え、すべての真理は—偶然的な真理でさえも—論証されねばならないとする立場」

今村 仁司:編『現代思想を読む事典』講談社現代新書、212頁

と説明されています。つまり、理性的な分析によって掴んだ根拠を通して真理を解明することが、合理主義だというわけです。


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村田 紗耶香『信仰』文藝春秋

しかし、理性的に考えるという営みは、近代以前においてもありました。例えば、紀元前から存在していたストア派は、道徳を理性的に突き詰めて考えていましたし、徳川幕府を支えるイデオロギーだった朱子学も理屈としては一貫とした世界観を持っていました。これらもまた合理的な思考体系であったわけです。私たちが通常、合理主義という言葉を使うとき、それは近代合理主義のことを指しています。それでは、近代の合理主義と、それ以前の合理主義とでは、どこが違ったのでしょうか。#11「近代」の記事を思い出してください。その記事で述べたことは、「企て」の精神こそ近代性の根幹にあるというものでした。たしかに、科学革命も産業革命も、現状を変革し、未来を計画する企ての精神によって開花したものです。近代合理主義を特徴づけるのは、その能動性、積極性です。したがって、あらゆる組織は、利潤最適化のために非効率的な部分を徹底的にブラッシュアップし、合理的な運営を目指すことになります。近代人は合理的でなければなりません。

しかしながら、合理主義一辺倒は、やはりおかしい。私たちはどこかでそのように思っているのではないでしょうか。村田紗耶香の小説『信仰』は、人間がはたして合理的な思考を持つ主体なのかどうかを再考させる小説です。主人公のミキは、少しの損も許せない合理主義の権化のような人物です。友人と遊びに出かけても、「かき氷の値段が高い、あっちの店では200円なのに」、「あなたのブランドバッグと同じようもの、アメ横で3000円で売ってたよ」、「このコーヒー、原価の二十倍もするよ、ぼったくりじゃん」などなど、「合理的な」主張をします。ミキの口癖は「原価、いくら?」です。ミキ自身は、友人が騙されないように「現実」を教えているだけなのですが、友人からは「ミキといると、なんか冷める」と言われてしまいます。そして、あろうことか、妹からは

「お姉ちゃんの『現実』って、ほとんどカルトだよね」

村田 紗耶香『信仰』 文藝春秋、33頁

と言われる始末です。

不純物を徹底して排除し、効率性を志向する合理主義を進めると、どうにも不合理な現象が出てきてしまう。中山氏は、たとえば、生産効率の合理化のため、ベルトコンベアの分業体制を導入すれば、作業効率は上がりますが、労働者のやる気や責任感は減退すると述べています(『高校生のための評論文キーワード100』「合理性・合理主義」筑摩書房、110-111頁)。人間の生を豊かにするはずの合理主義が、人間の生を押し殺してしまっている逆説がここにはあります。合理主義を突き詰めると、どうもカルトになる。やや極端な例ですが、アドルノの『啓蒙の弁証法』は、かなり難解な本で、本来要約には適さないのですが、あえてその思想の根幹を拾うと、合理主義という近代的思考が、ホロコーストを生み出したのだと主張し、野蛮なのは近代人の私たちなのだと述べている本です。

この合理主義のパラドックスは、なぜ生じているのでしょうか。仏教学者の中村元氏は、合理主義を論理的必然性のように理解するのは、大きな誤解であると述べています。それは、合理主義の一面でしかありません(『合理主義―東と西のロジック』「宗教の合理性と自然科学的思惟の合理性」青土社、144-146頁)。たしかに、論理的必然性を突き詰めることで、科学革命や産業革命を達成したことは近代の大きな功績です。しかし、いくらこの論理的必然性を突き詰めても、人がいかに生きるかという問いに答えてはくれません。中村元氏は、いかに生きるかという道徳の根幹にも合理主義があると述べます。人として取るべきまっとうな道、善悪に関する普遍的な価値を突き詰めていくためには、合理的な思考が欠かせないからです。これは、一般的に「道理」と呼ばれるものです。以上を踏まえれば、合理主義とは、論理的必然性と道理のバランスの上にある知的態度のことだと言えるでしょう。合理主義の矛盾が次々と露わになっている現状は、この二つのバランスが上手く保てていないことから来ているのかもしれません。核兵器を作る技術を持つことは、核兵器を持つべきだということを意味しません。しかし、その技術は人間にとって必要なのかという省察を怠ってしまえば、技術的に可能なことは、すぐに実現すべきだという短絡的な発想になってしまいます。近代の合理主義の行き詰まりは、私たちが道理を考える力が弱まっていることに原因があるのかもしれません。ところで、入試で評論文を読むことは、まさしく道理について考えるということです。評論文を読むという小さな行為でも、近代というパースペクティブで考えれば、非常に大きな意義があります。そのように考えれば、好奇心をもって評論文に対峙することができるでしょう。


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