世界史こぼれ話#10/パレスチナ問題をわかりやすく~その2)イスラームの歴史(ユダヤ教徒との共存編)~
21世紀中の解決は困難ともいわれるパレスチナ問題。
その歴史的背景として,前回は,「その1)ユダヤ教の歴史(差別・迫害の「古代・中世」編)」を解説しました。ユダヤ教徒の民族的苦難について,理解を深められれば幸いです。
今回は,イスラーム教徒(=ムスリム)の世界におけるユダヤ教徒という視点で,歴史を紐解いていきます!
*次回は「パレスチナ問題をわかりやすく~その3)100年前のイギリス外交~」を予定しています「大学受験 Y-SAPIX」(←ここをクリック!)をフォローして,公開までお待ちください。
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イスラーム教が成立したのは7世紀。
ちょうど,日本では唐(中国)の影響から大化の改新(645)が実施されたぐらいの頃です。
舞台はアラビア半島で,ほとんどが砂漠となっています。
ただ,点在するオアシス地域を中心に,古くから遊牧やラクダを活用した隊商貿易が行われており,とくにアラブ系の諸部族が積極的にこれに従事していました。このアラブ人の間で,急速に広がっていったのがイスラーム教です。
イスラーム教成立と拡大の歴史的過程はまとめるとこんな感じ。
イスラーム教といえばユダヤ教と同じ一神教の宗教です。
そのため,ほかの宗教を一切認めない,と思われがちです。
しかし,実際は異なります。
ムスリムは,キリスト教やユダヤ教の「信仰の自由」を認めていました。
これはいったいなぜでしょうか?
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この疑問に答える際のキーワードが「啓典の民」という考え方です。
イスラーム教の預言者ムハンマドは,ユダヤ教の『旧約聖書』とキリスト教の『新約聖書』について,いずれも「イスラーム教に先立つ啓示の書」とみなしていました。
啓示とは,神が人間に対して真理を示すこと,とお考えください。
この考え方がイスラーム教の基本的な考え方として,後世へ受け継がれています。
つまり,ムスリムにとっての聖書『クルアーン(コーラン)』,キリスト教徒の『新約聖書』,ユダヤ教の『旧約聖書』は,同じ神が今まで繰り返し人間に対して示してきた「啓典」である,というわけです。
「啓典の民」とはムスリムの,キリスト教徒・ユダヤ教徒に対する同胞意識の表れである,ともいえるでしょう。イスラーム教では、モーセやイエスが預言者として認められていましたので、それぞれの宗教間における関連性が非常に強いことがわかります。
たしかに,イスラーム世界において,キリスト教徒やユダヤ教徒に対する迫害事件があった,という事例はあまりみませんね。
9世紀以降,イスラームの政権は各地で分裂を繰り返しますが,各王朝においても,両教徒は人頭税(ジズヤ)を払えば信仰は自由とされ,その生活も保障されていました。
やや後の時代となりますが,教科書の記述をおさらいしておきましょう。
以下は,17~18世紀頃におけるトルコ系イスラーム国家・オスマン帝国の社会状況です。
オスマン帝国では,宗教別の自治共同体が編制されていました(ミッレト制)。キリスト教はカトリックやギリシア正教徒,アルメニア教徒も対象。
もちろん,ユダヤ教徒も該当します。
さらに,首都イスタンブルを中心とした広域な交易圏の中で商工業も活発であり,キリスト教徒やユダヤ教徒の大商人が特権を得ることもありました。
以上のことから,イスラーム世界におけるユダヤ教徒は,迫害や差別の対象になることはなく,むしろ信仰と自治を認められ,商業活動の担い手でもあったことがわかります。
キリスト教徒も含めて,唯一神の三宗教は歴史的にも共存してきたのです。
そうなると,
「いったいなぜ共存できなくなってしまったのか?」という疑問が湧いてくるはずです。
次回の記事で,その答えに迫ります。キーワードは「イギリスの三枚舌外交」です。気になる方は,ぜひ調べてみてください!
今回のこぼれ話はここまで。
次回も是非お楽しみに。それではまた!