世界史こぼれ話#4/聖ゲオルギオスとジョージア略史
きょう、11月23日は「勤労感謝の日」。
勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日とされています。
ところで。
日本と同じように、11月23日を国民の祝日とする国があります。その国はどこでしょうか?
それは…ジョージアです。
今回は世界史の中でもクローズアップされにくいジョージアという国について、深掘りしていきます!
■聖ゲオルギオスの日
ジョージア(Georgia)という国名は、同国の守護聖人である聖ゲオルギオス[英名:聖ジョージ(George)]に由来します。
聖ゲオルギオス[英名:聖ジョージ](270頃~303頃)とは古代ローマ時代の軍人で、キリスト教に帰依したのち、ディオクレティアヌス帝による大迫害で殉教した人物です。
その信仰心の篤さから、壮絶な最期を遂げたため、後にキリスト教の聖人に数えられました。
キリスト教を中心とするジョージアにおいて、11月23日は聖ゲオルギオスの日とされています。聖名祝日といい、キリスト教における聖人たちを記憶する日、という意味合いがあります。
聖ゲオルギオスの有名な逸話に、「ドラゴンを倒した」という伝説があります。この伝説が成立したのが11~12世紀頃のジョージアだと言われています。
ジョージア国旗に描かれている「白地に赤い十字」の図案も、この聖ゲオルギオスの伝説に由来します。
■ジョージア略史
場所を地図で確認していきましょう!
黒海とカスピ海の間に位置する一帯をコーカサス地方(カフカス地方)といいます。
ジョージアはコーカサス山脈を隔てて南に位置し、アルメニア・アゼルバイジャンとともにコーカサス諸国と称されます。
次にジョージア史の大まかな流れ(略史)をまとめます。
なお、現在の国名になる2015年までの間、当該国はグルジアと呼ばれていたので、以下の表もそれに倣います。
紀元前6世紀以降、ジョージアでは周辺諸国の政治的影響下に置かれた時期が長く続きました。その後、1918~1922年の4年間、そして1991年~現在まででおよそ35年間の独立国家(主権国家)としての歩みがあります。
ソ連崩壊後にカスピ海の油田開発が進展し、石油・ガスの生産が盛んになりました。同国はこうした資源をトルコや欧州へ送る輸送回廊としても、重要な役割を担っています。
一方で、国民の約85%がグルジア人ですが、アゼルバイジャン系・アルメニア系で約10%、ロシア系・オセチア系が約1%と、国内には少数民族が混住しており、文化的軋轢等も相まって民族紛争に発展することもありました。
また、同国はEU・NATOへの加盟を外交上の優先課題としています。
黒海東岸に位置する同国ですが、黒海北岸にはウクライナがあります。現在も対ロシア関係で予断を許さない状況が続いています。
■なぜグルジアからジョージアに変わったの?
グルジア語でグルジアはサカルトヴェロといいます。他方、国際的にはロシア語由来の「グルジア」という呼称が広く用いられていました。
ところが。2015年4月22日、日本の国会で、国名呼称の変更を定める法律が可決されました。これ以降、日本における正式名称はジョージアとなりました。
国名変更に至った理由として、ジョージア(旧グルジア政府)からの要請があったことが挙げられます。
というのも、2008年にロシアとの間で武力衝突が生じて以降、国内ではロシア語由来の「グルジア」が国際的に用いられていることに対して反対の声が強まったためです。
反ロシア感情からある都市名を変更するという例は他にもあります。
2022年3月31日に日本の外務省が発表した、ウクライナの首都キエフをウクライナ語に近い発音「キーウ」とする変更は、記憶に新しいかもしれません。
世界史の範囲内でいえば、第一次世界大戦期におけるロシアの首都サンクトペテルブルクも、「ブルク」という部分が交戦国であったドイツ語風の表記だったため、1914年にロシア語風にペトログラードとなりました。1924年には革命家レーニンの名を冠してレニングラードとなりましたが、1991年には元のサンクトペテルブルクに戻っています。
プーチン政権の強権支配が強まるロシアにおいて、今後は「サンクトペテルブルク→プーチングラード」という名称変更もあり得るかもしれません。
このように、国名や都市名が変更される背景として、戦争などの政治的な出来事が強く影響していることがわかりますね。
今後もニュースなどで、「なぜ変わったのか」「変更することで何が変わるの?」といった疑問を感じたら、その背後にある要因について、調べてみるといいでしょう。
今回のこぼれ話はここまで。
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次回も是非お楽しみに。それではまた!