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世界史こぼれ話#2/ナイティンゲールから学べること

みなさん、こんにちは!

大学受験塾Y-SAPIXの世界史講師が、日頃の授業だけでは伝え切れない、世界史に関するさまざまな情報を発信していきます。

前回のテーマはルネサンスでした!
ご興味のある方はこちらからご覧ください。

今回のテーマは「ナイティンゲール」です。
さっそく始めましょう!

■ナイティンゲールってどんな人物?

本名は「フローレンス・ナイティンゲール(Florence Nightingale)」(1820~1910)。イタリアの都市フィレンツェで生まれたことから、その英語名をとってフローレンスと名付けられたと言われます。イギリスの裕福な家庭で育った女性で、のちに看護師として戦地で多くの傷病兵を救った人物です。


ナイティンゲールが世間から注目を浴びる契機となった出来事があります。それはクリミア戦争(1853~56)です。世界史で学習しましたね。黒海に内接するクリミア半島を主戦場として、ロシア帝国とオスマン帝国が戦いました。イギリスはこの戦争にオスマン帝国側で参戦していたので、ナイティンゲールも戦地へ従軍することになりました。

ナイティンゲールの活動は、さまざまな面で画期的であったといわれます。
果たしてそれはどういう意味なのでしょうか。一緒に見ていきましょう!

■敵兵をも救う“クリミアの天使”

それまでのイギリスでは看護の仕事は社会的に確立しておらず、病人や負傷者への看護は、主に身内によって行われていました。また、病院で働く看護師の多くは、教育を受けてない最下層の女性たちでした。

ところが、冒頭でも触れたように、ナイティンゲールは上流階級という出自でありながら、クリミアの戦地で看護活動に従事しました。旧来の慣習に囚われないという姿勢・決断は、非常に勇気の要るものであったことでしょう。

さらに、クリミア戦争では傷ついた敵兵にも救いの手を差し伸べました。こうした活躍から、彼女は“クリミアの天使”として諸外国からも評価されるようになりました。

それだけではありません。ナイティンゲールの看護師としての能力が遺憾なく発揮された場所は、クリミア戦争期に従事した野戦病院でした。

詳しく見ていきましょう!

■病院がもう1つの“戦場”

看護師の主務は傷病兵の手当です。しかし、外傷を治癒したとしても、死傷者は一向に減らなかったそうです。これはいったいどういうことでしょうか。

ナイティンゲールが改めて病院内を見て回ったところ、問題の原因は別のところにありました。

彼女が従事した野戦病院は、非常に劣悪な衛生環境であったとされています。死亡した兵士の遺体が放置されていたり、色々な病原菌を持ったネズミが走り回っていたそうです。こうした環境が病気を蔓延させ、兵士を死に至らしめていたのです。

そのため、まず着手するべきは病院の衛生面を改善することでした。病室の掃き掃除や菌の繁殖を防ぐために換気を徹底するなど、病院という環境そのものにアプローチしたことで、多くの兵士を救うことができたのです。

■現代にも受け継がれる理念

クリミア戦争の終戦から3年後に、イタリア統一戦争(1859)が勃発します。この時、スイス人銀行家のデュナン(1828~1910)はナイティンゲールの活動に影響を受けて、戦場における中立の救護機関を設置する必要性を国際社会に提言しました。こうして、1864年に国際赤十字(The International Red Cross)が創設されます。ちなみに、赤十字の標識はデュナンの出身国スイスの国旗に因んでます。

現在でも世界192の国と地域に広がる赤十字の活動理念は、敵味方関係なく救護することです。そして、感染症対策や保健・衛生上の問題に取り組むことも主要な任務です。

以上のように、クリミアの戦地から国際的な運動へと発展した歴史的要因を考えると、ナイティンゲールの活躍を欠くことはできません。

ナイティンゲールとデュナンはともに1910年に亡くなりますが、100年以上経った今の時代を生きる私たちにとっての「常識」を形作っていると言えるでしょう。

今回のこぼれ話はここまで。
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次回も是非お楽しみに。それではまた!

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