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世界史こぼれ話#9/パレスチナ問題をわかりやすく~その1)ユダヤ教の歴史(差別・迫害の「古代・中世」編)~

2023年10月から始まったイスラム組織ハマスとイスラエルの軍事衝突。
国内外のテレビニュースでも,連日のように紛争の状況や被害の様子が報じられています。

ネットの検索ワードでは,「パレスチナ問題 原因」や「ガザ紛争 解決策」のように,どうすれば解決するのか?というユーザーたちの疑問が垣間見えます。

しかし,対立する両サイドの人々・国家の歴史を知ると,現代世界における問題の原因が過去(歴史)に在ることが分かります。

そこで今回は「ユダヤ教の歴史」に焦点をあてて,古代から中世までの大まかに理解していきましょう!

次回は「パレスチナ問題をわかりやすく その2)イスラームの歴史(ユダヤ教徒との共存編)」を予定しています。「大学受験 Y-SAPIX」をフォローして,公開までお待ちください。


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受験生の多くが使用する世界史の教科書「詳説世界史」(山川出版社,2023年)で索引を引くと,頭文字「ユ」の項目にユダヤ人の語句を発見できます。ところが,登場するページが25,280,299…と,いきなり大きく時代を跳躍していることがわかりますね(25→280ページ)。

25ページは古代オリエント史の文脈です。

前1500年ころ,セム語系の遊牧民であったヘブライ人はパレスチナに定住し,一部がエジプトへ移住しました。

※ヘブライ人とユダヤ人
ヘブライ人は他称です。一方で、ヘブライ人の主要部族であるユダ族という名称から,バビロン捕囚以後,ユダヤ人とも呼ばれるようになりました。民族固有の宗教(民族宗教)であったこともあり,古代・中世ヨーロッパにおいては,「ユダヤ人」と「ユダヤ教徒」が区別されることはあまりなかったそうです。

その後,ヘブライ人はエジプトの圧政に苦しんでいたが,前13世紀ごろに預言者であるモーセに率いられ脱出しました(出エジプト)。

前586年,同じくヘブライ人のユダ王国が新バビロニアによって征服され,
住民の多くがバビロンにまで連行されました(バビロン捕囚)。

色塗りされている部分がおよそパレスチナです

これらを民族的苦難と表現することが多いです。
バビロン捕囚から解放された後でヤハウェ(唯一神)を祀る神殿を再建し,パレスチナの地でユダヤ教を確立した,とされています。

民族的苦難を受けたことで,ヤハウェとの契約を守るユダヤ人だけが救われるという考え方が形成されました(選民思想)。

ところが,この後はどうなったのでしょうか?
こういう時は用語集や資料集を駆使するとよいでしょう。

歴史的には,以下のように流れていきます。

この年表から読み取れることは,ユダヤ教徒たちはローマとの戦争に敗れ,パレスチナ以外の地域に移動した,ということでしょう。

実はこの戦争の際にローマ帝国によって破壊されたイェルサレムの神殿の一部が壁として残り,現存する「嘆きの壁」として,ユダヤ教徒たちが礼拝する聖地になりました。

さて,次に気になるのは,ディアスポラによって移動した先はどこか?という問題です。

移動先は,ヨーロッパ世界でした。

さらに,世界史の範囲内で語るならば,「中世のヨーロッパ世界にユダヤ教徒が存在した」と理解しておくとよいでしょう。

「中世のヨーロッパ世界にユダヤ教徒が存在した」と理解しておくとよい。

その理由は,

①11世紀末に始まった十字軍運動
②14世紀半ばに生じた黒死病(ペスト)の流行

実は,この2つの大きな出来事にユダヤ教徒も関連しているためです。

①はキリスト教徒がイスラーム教徒から聖地イェルサレムを奪回するために行われた軍事遠征ですが,実は,その傍らではユダヤ教徒も攻撃対象になることがありました。
兵士が一目でわかるように,ユダヤ教徒の衣服に目印が縫いつけられたことも…。

また,②は西欧人口の3分の1を失わせた疫病ですが,
その社会混乱の中で流された噂によって,ユダヤ教徒は迫害の対象になりました。

その噂とは,「ユダヤ教徒が井戸に毒をまいたせいで,ペストが広まった」というものです。
明かなデマですが,現代と違ってペストの原因がわからなかった当時は広く信じられてしまいました。

それでも,憎悪に駆られた民衆がユダヤ教徒の居住区(ゲットー)を焼きうちにしました。

ここまで読んできて,素朴な疑問が生まれませんか。
「なぜ,キリスト教徒はユダヤ教徒を憎んでいたのか?」
この問いも,世界史の知識で答えることができます。

たとえば,

・ユダヤ教の選民思想
・イエス処刑の原因がユダヤ教徒であった

などは,基本的な知識としておさえておきましょう。

この他であまり知られていない理由として,
「ユダヤ教徒は,金融・商業に従事する人が多かったから」という点があります。


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金融・商業は儲かるというイメージを持ちがちですが,ユダヤ教徒がそうした職業に就いた事情はそのような楽観的なものではありませんでした。

実は,ユダヤ教徒は土地の所有が認められていなかったのです。

そのため,一か所に定住することが難しく,商業圏を移動しながら旅先でビジネスを行う,というケースが多かったそうです。
さらに,金融業では金を貸して利子をとっていました。
こうした点が,営利行為を蔑視する当時のカトリック教会の考え方と相容れなかったようです。だから、ユダヤ教徒に対して、カトリックが敵意を向けたのでした。

ユダヤ教徒にとって,中世西欧世界は生きづらい社会だったことが想像できますね。ただ,決して全てのキリスト教徒がユダヤ教徒を迫害したわけではありません。

例えば,14世紀のポーランド国王カジミェシュ3世〈カシミール大王〉(在位1333~70)は,ユダヤ教徒の移住を奨励して保護下におき,国内の経済発展を実現しました。
また,15~16世紀におけるドイツの人文主義者ロイヒリン(1455~1522)は,法学博士としてラテン語・ギリシア語のほかにヘブライ語も研究し,ユダヤ教徒の保護を主張しています。

しかしながら,西欧世界という大きなくくりでみると,13~16世紀の期間でイギリス,フランス,ドイツ,スペインなどの国内からユダヤ教徒を追放するという動きが止まることはありませんでした。
※1492年には,スペイン王が出した「ユダヤ教徒追放令」により,イベリア半島からユダヤ教徒が追放されました。

さて,「苦難の連続」というイメージで語られがちなユダヤ教徒の歴史ですが,イスラーム世界では,西欧世界とは異なり,両者が共存した事例も多くあります。

それはどういう事情によるものなのでしょうか…?
是非,次回の記事でお確かめください!

今回のこぼれ話はここまで!

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次回も是非お楽しみに。それではまた!


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