リベラル書籍紹介#47『新装版 苦海浄土―わが水俣病』石牟礼 道子
この連載ではY-SAPIXのオリジナル科目「リベラル読解論述研究」で使用した書籍について、担当する職員が紹介していきます。
今回は、高校生が11月期で使用した『新装版 苦海浄土―わが水俣病』です。
○公害と『苦海浄土』
誰にも生まれ育った故郷、というものがあり、その場所にまつわる思い出があります。それは近くの海や山で遊んだ記憶、通学路の風景、いつも買い物をしていたお店、など人の数だけ存在し、また、その記憶は大人になり、たとえその土地を離れたとしてもなかなか忘れることはありません。このように故郷は、人間の自我を形成する要素のひとつであると言えます。
しかし時として、特定の土地が、災害や事故、事件などで大きな被害を受けることがあります。このような事態が発生したとき、その土地を故郷とする人はみな、その事実に苦悩し、自分の記憶の中にある街のイメージが大きく損なわれたことに傷つきます。
『苦海浄土』はこのような形で故郷を奪われたことへの怒りと苦しみが大きな主題となっており、水俣病という公害病により、理不尽な形で日常が一変した水俣の人々の様子が切々と描かれています。
水俣病は、高度経済成長期前後に報告された公害病の一種です。有機水銀を含んだ工業廃水が水俣湾に垂れ流され、汚染された魚を食べた人々が次々に水銀中毒を発病しました。日本経済の著しい成長は、日本各地に化学物質による公害をもたらしました。水俣病をはじめ、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくといった公害病もこの時期に報告されています。
また、この頃世界的にも化学物質が引き起こす環境破壊の恐ろしさが知れ渡るようになり、化学物質が環境と人体におよぼす悪影響を説いたレイチェル・カーソンの著書『沈黙の春』はベストセラーとなりました。
水俣在住の著者は、当時の水俣病の被害状況に衝撃を受けたことをきっかけに、水俣病の患者の記録、そして原因究明の過程を記録するようになりました。その記録の内容は、患者や病院の様子のみならず、東京に出向きデモ活動を行ったときの様子にまで及び、それらを一冊の書籍にまとめたものが『苦海浄土』です。
○『苦海浄土』で描写されたもの
本書に登場する水俣病患者の境遇はそれぞれ異なりますが、海や魚、人々の交流を通して水俣という街をこよなく愛していることは共通しています。そしてほとんどの人々は未知の病気で突然大切な家族や職を失い、その事実をうまく受け入れられないまま、とまどいと不安を抱えて過ごしています。
『苦海浄土』では、こうした患者の声が方言まじりに語られており、牧歌的で慎ましやかな水俣の生活と、水俣病のもたらす痛みや日常生活の困難さが克明に描写されています。
一方で、患者の病状が記された報告書や企業の調査報告などのデータも挿入されており、こちらの文体は患者の様子を記録したパートと大きく異なる事務的な表現に終始しています。それは、平和な水俣の街の暮らしと、化学物質のもたらした不気味な病という両者の冷たい断絶を表現しているかのようです。
作品の書かれた経緯とその内容から、この作品はルポルタージュと思われがちですが、決定的な違いがあります。著者が記録した患者の声は、実は患者の発言そのものではなく、患者の立場ならこう考えるだろうと、著者が代弁するような形で創作した言葉です。
しかしその言葉は水俣で暮らす人々の故郷に対する強い思いに裏打ちされたものであり、著者の共感力と筆力なくしては書けないものです。そのため、真実をそのまま告発するよりも、こうした表現を巧みに操り患者やその周辺の人々の絶望や怒りを増幅して伝えることで公害病のもたらす悲劇を社会に強く訴えている点が『苦海浄土』という作品の根幹ともいえます。
それから数十年の年月を経て、日本の公害対策は法律を通して徹底されました。廃水の垂れ流された水俣湾の水質も改善されており、今の日本社会にとって、公害問題は過去の問題のように思われがちです。しかし水俣病の症状に苦しむ人は現在でも存在し、患者認定問題や長期にわたる裁判など、解決していない問題は多く残っています。
また、経済発展の裏で人々の生活が犠牲になるという可能性は、いつの時代にも存在します。そのような悲劇を繰り返さないためにはどうすればよいか、本書をヒントに考えてみてください。
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