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大学歴訪録#26 一橋大学

新時代に向けて高度人材を育成 
日本の社会科学の改革を牽引する

2025年に創立150周年を迎える一橋大学は、内外から多くの注目を集める日本随一の社会科学系総合大学です。2020年から学長を務める中野聡先生に、SAPIX YOZEMI GROUPの髙宮敏郎共同代表が4年ぶりにお話を伺いました。


新たな学部を72年ぶりに開設

髙宮 前回、中野先生と対談をさせていただいたのは2020年10月で、コロナ禍の真っただ中でした。この4年間で貴学にはどのような変化がありましたか。

一橋大学 学長 中野聡先生

中野 4年前はキャンパスから学生たちの姿が消え、ひょうたん池付近で野生のキツネを見かけることもありました。私から見たこの4年間の最も大きな変化は、やはり学生たちが戻ってきたことです。大学に登校できる喜びが学生たちからじかに伝わってきて、胸が熱くなりました。2024年の一橋祭(文化祭)は、どの企画も素晴らしかったですね。

髙宮 一橋大学のかつての日常が戻ってきたのですね。

中野 日常を取り戻しただけでなく、大学改革のスピードはむしろ加速しました。その一つの象徴が、ソーシャル・データサイエンス学部(SDS)を新設したことです。学生や受験生から見れば、これがこの4年間で最大のニュースだったかもしれません。

一橋大学は2023年4月、ソーシャル・データサイエンス学部・研究科を設置した。同大学にとって学部の新設は72年ぶり。その使命は社会科学とデータサイエンスを融合させたソーシャル・データサイエンスのゼネラリストを養成すること。文系・理系双方の知識のみならず、現実社会のさまざまな課題を発見・解決する積極的な姿勢や多様な人々との適切なコミュニケーションが必要とされる。そのため、志望者には学部での広範な科目の学びの基礎となる数学の堅固な基礎知識と、それに基づく論理的な思考力、日本語と英語を用いた読解力、説明力、表現力、思考力が求められる。入学定員は60人。その半数以上が理系だという。

髙宮 データサイエンスの分野でいえば、この4年間でChatGPTなど生成AIが目覚ましい進化を遂げました。

中野 SDSはまさにその領域を研究するための学部でもあります。SDSの教員で、大規模言語モデルの専門家らが中心となって、本学でも生成AIの開発に着手する予定です。

2023年には脳科学研究センターも設立しました。部局横断型の組織・一橋大学社会科学高等研究院(HIAS)の付属センターという位置付けで、備え付けた磁気共鳴画像装置(MRI)はいよいよ2025年春から稼働します。

そのキックオフとなる脳科学研究のシンポジウムを先頃開催したのですが、実に興味深かったですね。例えば、法曹界のプロと一般市民とでは、刑事事件の量刑を判断する際の脳の活動領域が明らかに異なっています。そのことがMRIの画像なら一目瞭然なのです。従来本学で行ってきた社会科学研究とは全く異なるアプローチに、新たな可能性を感じました。

髙宮 民間企業とのさまざまなコラボも始まっているそうですね。

中野 本学はこれまで文系学部ばかりだったため、いわゆる産学連携はそれほど密に行われてきませんでした。しかし、SDSの新設により、状況は変わりつつあります。その一例が、三菱地所との共同研究による交流拠点の開設です。登録有形文化財である東本館の一部を同社のノウハウでリノベーションし、学生、教員、共同研究を行う企業スタッフが相互に交流する拠点を設けました。異なる分野の研究者や専門家がここで自由にコミュニケートすることで、一橋大学発ベンチャーのインキュベーションセンターとして活用が進めばと期待しています。

取材時の様子
聞き手 SAPIX YOZEMI GROUP 共同代表 髙宮 敏郎

女子学生サポートとダイバーシティに注力

髙宮 貴学は2025年に創立150周年を迎えます。「創立150周年記念プロジェクト」のホームページでは「女子学生応援サイト」を設けていますね。

2024年は、一橋大学初の女子学生・石原一子氏(※1)が入学した1949年から75周年という記念の年に当たる。石原氏は卒業後、高島屋に入社し、その後は女性初の役員となった。東証一部上場企業で取締役になった女性は石原氏が日本初だった。このサイトでは彼女の足跡をたどりつつ、「データで見る、一橋大学の女子学生」など、一橋の女子学生を全力で応援する企画がいくつも掲載されている。

中野 本学の女子学生比率は年々伸びています。2024年度の入学者を見ると、全学部生の31%が女子で、社会学部では初めて50%を超えました。ただし、文系大学として考えると、まだまだ物足りません。本学の一般選抜では全学部の第2次試験で数学を課していますから、それが高いハードルになっているようです。とはいえ、試験科目から数学を外すことは考えていません。数学に果敢にチャレンジしてくれる女子学生を増やすことが、あくまでも本筋だと考えています。

髙宮 ダイバーシティについてはどのような考えをお持ちですか。

中野 多くの大学がダイバーシティを目標に掲げています。それは今の日本にとってまさに多様性が必要なことだからです。山積する社会課題を解決するためには多様な人材の多様な知恵を結集しなければなりません。ダイバーシティが重要なのは大学でも同じこと。ダイバーシティは大学をより意欲的な場所へと高めてくれますし、研究力と教育力の向上にも直接関わってきます。そのため、私も学長に就任以来、ダイバーシティを最重要課題と位置付けており、2022年度からダイバーシティ担当の副学長(2024年9月から理事・副学長)を置くことができました。

大学でダイバーシティを実現するには、単に女子学生を増やすだけでなく、大学経営の面でも多くの女性リーダーに活躍してもらわなければなりません。現在、本学の役員は私を含め8人を数えますが、うち3人が女性です。誇らしいのは、外部から招聘した方だけでなく、学内からの昇格者もいることです。ダイバーシティは学内に確実に根を張りつつあります。

髙宮 ダイバーシティ推進室の活動も活発のようですね。

中野 ダイバーシティは男女だけでなく、LGBTQや外国人留学生も含めて考えるべきです。ダイバーシティ推進室はあらゆる人に快適に学んでもらえるよう、さまざまなテーマで活動しています。

※1  石原一子氏は2024年12月にご逝去されました。一橋大学では謹んで哀悼の意を表しています。

健在、「ゼミの一橋」 起業志向の学生も

髙宮 貴学を紹介する上でどうしても外せないのが、「ゼミ」です。「ゼミの一橋」との異名を取るほど貴学の少数精鋭教育には定評がありますが、前回伺った際、中野先生は学長ながらゼミを受け持っていらして驚きました。現在もそれは変わりませんか。

中野 毎週決まった時間を確保するのが難しくなったので、大学院のゼミだけ担当しています。大学教員にとって、大学院のゼミは自らの研究に刺激を与え、軌道修正に役立てるものでもあるので、これだけは手放せませんね。

髙宮 スタートアップや大学発ベンチャーについてはいかがでしょうか。

中野 スタートアップをより強く意識したイベントが増えてきました。30〜40代のアントレプレナー(起業家)を招いて話を聞くイベントには、多くの学生たちが詰めかけます。本学を卒業した起業家の方々のネットワーク作りも、創立150周年に向けての体制見直しの中で、2年前ほど前から本格化してきました。

2025年1月には「一橋大学発ベンチャー」として本学が初めて認定するケースも出ました。

髙宮 どのようなベンチャーなのでしょうか。

中野 一言でいえば、農業分野におけるカーボンクレジット(※2)の創出支援事業です。例えば、水田耕作を行うと、必ず一定の温室効果ガス(この場合はメタン)が排出されますが、耕作法を改善すれば排出量を削減することが可能です。その削減分はカーボンクレジットとして、他の温室効果ガス排出事業者に販売することができます。当時、本学経済学部に在籍していた学生が考案したこのベンチャーは、農家に新たな耕作法を実施してもらい、それによって削減されるメタンガスの量を精密に計測し、その排出権をカーボンクレジット市場で販売しようというものです。

※2 温室効果ガスの排出量をクレジット(権利)として取引する仕組み。

野球やホッケーなどスポーツでも存在感

髙宮 意外といっては失礼ですが、貴学は体育会も大いに健闘されていますね。硬式野球部は東都大学の秋季リーグ戦を12勝1敗で終えて4部で、フィールドホッケー部も関東学生秋季リーグ男子2部で、それぞれ優勝しました。

中野 本学はさまざまな競技でそこそこ(笑)強いんですよね。それには理由があるようです。

まず、本学は大学としての規模がそれほど大きくないので、体育会に入った学生は基本的に試合に出られます。しかし、学生自身は、現状のままでは他校に太刀打ちできないのを知っている。そこで、彼らは冷静かつ客観的に自己分析して、どうしたら負けないかという作戦を緻密に立て、それを実行するための練習に真面目に取り組む。そうした戦略を各運動部で行っているので、どの競技もそこそこ強いのです。

面白いのはアマチュアスポーツ協会の幹部に本学出身者が多いこと。現在の日本ホッケー協会会長、全日本柔道連盟事務局長、日本卓球協会会長は本学の卒業生です。他にもラグビー、ボート、弓道など、本学卒業生が幹部に名を連ねている協会は少なくありません。学生時代にスポーツに打ち込み、卒業後に経営者や実業家として成功した方々は、協会のトップを任せられることが多いのでしょう。本学は、実は日本のアマチュアスポーツ界を陰で支えているともいえます。

髙宮 この対談で、スポーツが話題になる国立大はほぼありませんが、貴学は特異なケースですね。

中野 創立150周年記念事業として、本学卒業生の、卒業生による、卒業生のためのPodcast番組「一橋大学は出たけれど」も配信中です。これもまた、国立大にはあまり縁のなかった話題かもしれません。

一橋大学は出たけれど」は、ラジオプロデューサーである同大卒業生の橋本吉史氏がパーソナリティーを務めるPodcast番組。同大を卒業してユニークな人生を送るゲストを迎え、「卒業生以外には1ミリも刺さらない話」を展開している。これまでのゲストは吉本芸人の中野なかるてぃん氏、スナックママの坂根千里氏ら。

髙宮 本日も長時間ありがとうございました。最後に、受験生にメッセージをお願いします。

中野 これからの人口減少社会では、これまで以上の付加価値を生み出せる高度人材が求められるようになります。十数年後には博士号を取った高度人材の多くが民間企業で働くようになるはずです。国もその方向を推奨しており、多くの国立大も高度人材の育成に力を入れています。それだけに、大学受験が控えている皆さんは、その先の大学院も視野に入れつつ進路を考えてみてください。その過程で本学が候補に挙がれば、これほど嬉しいことはありません。本学には同窓会組織「じょすいかい」をはじめとして、現役学生と卒業生とを結ぶ「全世代コミュニティー」の強い絆があり、きっと多くの仲間があなたを助けてくれるでしょう。一橋に来れば人生が変わる、かもしれません。

■プロフィール
学長 中野なかの さとしさん
1983年一橋大学法学部卒業。1990年一橋大学大学院社会学研究科修了。社会学博士。1990年神戸大学教養部講師。1994年フィリピン大学哲学社会科学学部歴史学科客員研究員。1999年一橋大学社会学部助教授。2003年一橋大学大学院社会学研究科教授。2005年コロンビア大学ウェザーヘッド東アジア研究所客員研究員。2013年ジョージ・ワシントン大学シグーア・アジア研究所客員研究員。2016年一橋大学副学長。2020年一橋大学学長に就任。専門は現代アメリカ史、フィリピン史。2008年『歴史経験としてのアメリカ帝国- 米比関係史の群像』(岩波書店)で大平正芳記念賞受賞。

■一橋大学 オフィシャルサイト

■一橋大学で学びたい方へ(受験生向けウェブサイト)

この記事は2025年2月21日刊行『Y-SAPIX JOURNAL』春号に掲載された記事のWeb版です。


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