【解法解説】2024年度 東京大学 日本史
2024年度(令和6年度)の東京大学(前期)の日本史について、現役生対象の大学受験塾Y-SAPIXが徹底分析しました。
東大の日本史は例年,大問4題構成で,古代・中世・近世・近現代からの出題です。この構成は今年も変わりません。内容としては資料文がいくつか提示され,それに基づいて設問の要求に答えるというものです。
今年の問題は比較的解きやすい印象でしたが(だからといって簡単ではないので注意!),皆さんどうだったでしょうか?以下ではその中でやや解きにくかったのではないか思われる,第1問Bと第2問Bについて説明していきます。どちらも時期ごとの変化に気づき,それを表現できるかが解答のポイントです。こうした変化を問う問題に受験生は結構苦戦するのです。
1 第1問B
「9世紀前半に,天皇と官人の関係はどう変わった?」
第1問のBで問われたのは9世紀前半に天皇と官人との関係がどのように変わったのかということです。この問いに対して,受験生は提示された資料文をよく読んだうえで,答えることが必要です。
「資料文から関係を読みとればいいんでしょ」と安易に考えてはいけません。そもそもここでいう「関係」とは何を指すのか。そこが問題です。
(1) 2つの資料文から天皇と官人の関係の変化を探る
まずやるべき作業としては,変化が問われているのですから,資料文から天皇あるいは官人に関して,9世紀前後で変化している点を読みとりましょう。つまり時期ごとの相違点を探るという作業です。
そうすると,以下のことがわかるはず。
資料文(1):大宝律令制定時点での官人=「古くから天皇に奉仕してきた畿内の有力氏族」
⇒大宝律令制定以前から天皇に奉仕してきた有力氏族がそのまま政府の要職にあったことになります。
資料文(4):平安遷都以降,「家柄によらず優秀な者は中央や地方の要職に採用する」
⇒資料文(1)の段階とはだいぶ変わってきましたね。家柄に関係なく優秀な人材を登用することになっています。
以上のように,資料文を読んでいくと,要職への官人登用の仕方に変化があることがわかります。このことに注目すると,「天皇と官人の関係はどう変わった?」という問いに対する答えが見えてくるはずです。
すなわち,ヤマト政権以来の有力氏族が代々,伝統的立場を背景に天皇を支える状態から,伝統など関係なく能力をもった官人が要職につき天皇を支える状態に変化したのです。そこでは伝統に重きを置いて天皇―官人の関係が形成されていたのが,能力に重きを置いて天皇―官人の関係が形成されていくようになったことがわかります。
(2) 9世紀前半における天皇・官人の関係変化の背景
それでは,なぜこうした変化が起きたのでしょうか。変化には必ず理由があります。(問題にもよりますが)変化型の論述問題の場合,変化の理由,つまり背景事情について触れるとよいでしょう。
そこで資料文(5)を見ると,嵯峨天皇の唐風化政策の下,天皇に対する拝礼作法が日本の古い習俗を起源とするものから,中国風のものに変化していったことが記されています。また研究上では,こうした唐風化政策により,それまで律令の規定に拘束されてこなかった天皇が,中国の皇帝同様に拘束されるようになったことも指摘されています。
このように天皇を取り巻く政治状況が劇的に変化し中国化する動きが,伝統的な有力氏族によって天皇が支えられるという従来の枠組みを打ち破ることにつながったのでしょう。
(3) 論述をタイプ分けしたうえで答案を作成する
論述問題にはタイプがあります。本問は変化型と言ってよいでしょう。変化型の場合は,あせらず,まず時期ごとの相違点を探したうえで,背景事情にも留意しながら解くことが必要になります。論述のタイプを踏まえて問題に取り組むと,少し解きやすくなるかもしれません。
2 第2問B
「東大寺再建に頼朝はどのように協力したのか」
次に注目したいのが,第2問のB。源頼朝が東大寺再建にどのように協力したのかが問われました。条件として「頼朝の権力のあり方に留意しながら」とあることに悩んだ受験生も多かったことでしょう。本問に注目した理由はここにあります。
「頼朝の権力のあり方」とは,どういったことに触れればよいのでしょうか。頼朝が東大寺再建に協力したことを示す資料文(2)(4)に注目するとわかってきます。
(1) 頼朝の寄付行為と奥州藤原氏
資料文(2)で頼朝による寄付行為だけでなく,出題者があえて奥州藤原氏の寄付行為にも言及したのにはわけがあります。当時,全国の軍事指揮権掌握を図る頼朝にとって,奥州藤原氏の存在は脅威であり,東京大学では過去にそうした点を踏まえた出題をしたことがあります(2013年 第2問のB)。
こうした事情を踏まえると,頼朝は寄付行為を通じて,東大寺信仰の保護者として,自らの存在を社会にアピールしようとしていたと考えればよいのではないでしょうか。特にライバルである奥州藤原氏も寄付行為をしているのですから,頼朝もそれに対抗する必要があったのです。
資料文(2)の段階では,まだ権力者としては不安定であった頼朝が,奥州藤原氏に対抗するために寄付行為で東大寺再建に協力をしたところに特徴があると言えるでしょう。
(2) 奥州藤原氏滅亡後における頼朝の東大寺再建への協力
一方,資料文(4)を見るとその協力の仕方に変化が生じていることがわかります。単に寄付行為をするのではなく,西国の地頭に材木の運搬を命じるなど,将軍と御家人の主従関係を背景とした協力が見られるようになるのです。このように御家人の動員による協力が見られるようになった理由は何なのでしょうか。
そこで注目すべきは,資料文(4)の中で示されている時期です。「1191年」は1189年の奥州合戦後のこと。つまり,ライバルであった奥州藤原氏の滅亡後のことです。これにより頼朝政権は王権を支える全国で唯一の武力になったと指摘する研究者もいます。つまり,武士に対する頼朝の支配力が増したと考えてよいでしょう。山川出版社の『新日本史』(p.89)では奥州藤原氏滅亡後に「頼朝は武門の棟梁としての地位をゆるぎないものとした」としています。
武門の棟梁としての地位がゆるぎないものになったので,主従関係にものを言わせて東大寺再建に御家人を動員していったと考えてよいでしょう。
以上のように,資料文(2)(4),それぞれの時期の頼朝の権力のあり方と,協力方法の変化に気が付けるかが本問のポイントなのです。
(3) 第2問Bのような問題を解くために
「なぜ?」という疑問を持つ
本問で大切なのは,なぜ奥州藤原氏を滅ぼす必要があったのかという視点です。こうした疑問を持って学習を進めなければ,当時の政治情勢を理解することは出来ず,本問にも答えることはできません。奥州藤原氏が脅威であったからこそ,寄付行為を通じて東大寺再建に協力したのであり,のちに滅ぼすことになったのです。日ごろの学習から歴史上の出来事に対して疑問を持つことが大切でしょう。
時期への注目
資料文で時期が提示されたら注目してみてください。意味があるからこそ資料文に時期が示されるのです。今回でいえば,「1191年」が奥州合戦後であったことに気づくことができれば,「東大寺再建にどのように協力したか」という設問の要求に十分に答えることができたはずです。
3 東大日本史を解くために
昨年度の東大日本史についてのnote記事では,設問の要求を踏まえて解くことや,必要に応じて学習した知識を活用することについて説明しました。この点は2024年度も変わりません。
今回はそれにプラスして,日頃から歴史事象に対して「なぜ?」という疑問を持つことの重要性を確認しました。こうした因果関係への注目は,時代状況の深い理解につながります。表面的な理解では,東大日本史の問題は解くことができないということでしょう。
また,第1問のBのように変化型の論述問題では,まずは時期ごとの比較が必要であることを説明しました。簡単なようだけれど,こうした一つ一つの作業を積み重ねていくことが東大日本史を解くためには非常に大切なのです。
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