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「最難関大現代文と社会情勢の関わり」リベラル通信 2021年5・6月号

二〇二〇年度は、新型コロナウイルスの感染拡大により、生活のあらゆる場面で平常とは異なる対応を余儀なくされた一年でした。大学入試に関して見ても、個別学力試験の出題範囲の調整、大学入学共通テストの成績や提出書類のみでの合否判定への変更等を行った大学が少なくありませんでした。

ただでさえ新実施の共通テストの対策が必要になる中で、受験生たちは入試に向けての学習を進めることに相当程度苦慮したものと思われます。以上のような情勢下で、大学側は入学試験を通じ如何なる問題を提起していたのでしょうか。今回は国公立大の中で最難関に類される東京大学、京都大学の国語第一問(文理共通出題の現代文)に着目し、大学入試と社会との関わりを考えていきます。

まずは、東京大学から見ていきましょう。東大の国語第一問は、松嶋健「ケアと共同性―個人主義を超えて」から出題されました。社会や市民の防衛のために患者を隔離する論理や個人の希望に従った選択に依拠する論理と対比させる形で、「ケアの論理」という、人々の身体を「管理」するのではなく「世話」することを重視し、世話をする人とされる人の二者に止まらず関係するあらゆる人的、物的資源を総動員する共同的な論理の重要性を説いた文章でした。社会論の中でも福祉系に分類される評論だといえます。

コロナに関する日本のこれまでの対応を振り返ってみると、コロナを「指定感染症」とし感染者に対しては罰則も伴う入院勧告を行ったり、帰国者や入国者に対し二週間の自主隔離を要請したりと、感染拡大防止のためにコロナ患者や感染の可能性が疑われる者を社会から引き離す方策がとられてきました。治療法が確立されない中で致し方ない部分があったとはいえ、右で述べたところの「社会や市民の防衛のために患者を隔離する論理」のもとで対策がなされてきたといえるでしょう。

ワクチン接種が更に進む等すれば状況は変わってくると思われますが、今回の文章を通じて、東大は今後のコロナ治療において検討すべき考えを「ケアの論理」という形で受験生に示していると見ることが出来るのではないでしょうか。小問二や小問四で前述の対比構造を踏まえた記述が課されていることからも、今後採用を考えるべき治療観である「ケアの論理」とはどういうものか、それが従来のものとどう違うのかということの確実な読み取りが受験生に対し要求されていたといえるでしょう。

続いて、京都大学の国語第一問を見ていきます。京大の第一問は、西谷啓治「忘れ得ぬ言葉」からの出題となりました。筆者が学生時代に友人からいわれた言葉を起点として、他の「人間」とのつながりの中で自分を見ることを通した実在の「世間」との接触や、意味内容のみならず発した人間の在り方も一体となって理解されるような「忘れ得ぬ言葉」について記した文章であり、随筆に類されるものになります。

一見すると、東大の文章に比べコロナ禍との関連性は薄いように思えるかもしれません。しかしながら、「人間関係」について述べている点に着目すると、現在の社会とのつながりが見えてきます。コロナの感染拡大以降、外出自粛やソーシャルディスタンスの確保が求められたり、テレワークが導入されたりして、他者と近い距離で直に接する機会は以前に比べ格段に減少しました。オンライン授業や分散登校が実施された学校現場でもそれは同様だったでしょう。すなわち、京大の文章に則して考えると、「忘れ得ぬ言葉」に触れ他者とのつながりを感じつつ自己を見つめ直すことが困難になっている現状があるということになります。京大は、筆者の考えを読み取ることを通して、コロナにより変容してしまった他者との距離感、人間関係の在り方を捉え直し、あるべき人間関係について再考することまで受験生に行ってほしかったのかもしれません。

ここまで見てきたように、両最難関大学の文理共通の現代文は、コロナ禍に見舞われた現在の社会に通じる問題について論じた文章から出題されていました。大学入試の現代文は、切り口や直接間接の違いはあれども、今の社会で主要な問題とされるべき事象に関わる文章から出題されるといえるのかもしれません。

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