リベラル書籍紹介#14『日本の近代とは何であったか-問題史的考察』三谷太一郎
この連載ではY-SAPIXのオリジナル科目「リベラル読解論述研究」で使用した書籍について、担当する職員が紹介していきます。
今回は、高校生1月期で使用した『日本の近代とは何であったか-問題史的考察』です。
大学入試の現代文には、近代論がよく出題されます。そのため、近代についての基本的な知識はしっかり持っておく必要があります。近代社会を理解するにあたって、以下の三つのことはしっかりと覚えておきましょう。
(1) 人口の流動
(2) 契約社会
(3) 世俗化
近代という時代は、産業革命によって人々を共同体から解放しました。
根無し草となった人々は都市に流出します(人口の移動)。都市では、異なる共同体に出自を持つ他者たちが共存するために、共同体の論理である血縁とはちがって、契約が社会の掟になります(契約社会)。
そして、社会のあらゆる要素を経済的合理性の対象とするためには、宗教的思考ではなく、合理的思考が社会生活の基本になければなりません。この合理的思考というのは、本書でたびたび言及されるウォルター・バジョットの「議論による政治」ともかかわってきます。
私たちが生きる現代社会も、もちろん、近代社会の延長にあるので、こうした価値を共有しています。
本書では、日本の近代を「政党政治」、「資本主義」、「植民地帝国」、「天皇制」という視点から論じています。日本は、もう植民地帝国ではありませんが、政党政治や資本主義や天皇制は、いまだに現代の日本社会にも構造的に深く埋め込まれています。
私たちが日本で生活するということは、こうした社会的な制度とは無縁ではいられません。そして、私たちが生きる現代社会は、こうした近代的な制度や価値の矛盾が現れている時代ともいえます。
メディアではたびたび、「決められない政治」「資本主義の危機」などという文言が踊っています。主に歴史認識問題に起因する日韓関係もたびたび社会問題になりますし、天皇制もまた、近代の国民国家体制と密接につながっています。
私たちは、もう一度、近代とは何だったのかと振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。
本書は決して簡単に読める本ではないですが、本文にしっかり向き合うことで、日本の近代の姿がはっきりと浮かんでくるはずです。
難しい箇所は、担当講師が分かりやすく解説します。
近代という激動の時代のなかで、過去の人たちは先例のない問題に対して何とか答えを出してきました。その判断は妥当だったかもしれないし、失敗だったかもしれません。
いずれにせよ、私が生きる現代社会は、近代でなされた判断の蓄積の上に成り立っています。そうした判断を自明とするのではなく、講師や授業参加生徒との対話を通して、その妥当性について考えてみましょう。その考察は、現代社会を捉える感度も育ててくれるはずです。