大学歴訪録#21 早稲田大学
伝統を尊重しつつ改革を進める
誰にでも居場所がある私学の雄
「都の西北」の校歌で知られ、わが国有数の難関大学でありながら、スポーツでも注目される私学の雄。そんな早稲田大学の総長を2018年から務める田中愛治先生に、SAPIX YOZEMI GROUPの髙宮敏郎共同代表がお話を伺いました。
しなやかな感性
ひびきあう理性
たくましい知性
髙宮 アメリカは今、大統領選挙の話題で盛り上がっています。ある調査によると、電気自動車の売れている町では民主党支持が優勢で、ガソリン車の売れている町では共和党支持が優位だとか。ところが、電気自動車のテスラ社の最高経営責任者(CEO)で知られるイーロン・マスク氏は、共和党支持者に好かれているそうです。アメリカではこうした分断とねじれが至る所にあり、まともな議論ができなくなっています。日本も少なからずその傾向にありますが、こうした時代の教育はどうあるべきでしょうか。
田中 早稲田大学がまさにこれからの課題だと捉えているのがダイバーシティ&インクルージョン、多様性を認め、自分と意見の異なる者も受け入れるということです。
私が留学していた頃のアメリカは、今のように分断されてはいませんでした。分断が進んでいる印象があるのは、一国のトップが、極めて狭い範囲の自分の利益のために、大衆の分断と対立をあおり、全体の調和を破壊してきたからではないでしょうか。これは長い目で見れば本人にも不利益になります。
全体の調和を保つには、自分と異なる他者に寄り添う「しなやかな感性」と、相手に共感し、相手を理解する「ひびきあう理性」が必要です。その上で、今日のウクライナやパレスチナのようになかなか答えの見つからない問題を粘り強く解決していく「たくましい知性」が重要になります。私は本学の総長に就任して以来、折に触れてこの三つの特性の大切さについて語ってきました。本学の学生諸君はこれらをぜひ身に付けて、磨いていってほしいですね。
社会貢献の一環として
スタートアップを支援
髙宮 田中先生は貴学の創立150周年を見据えて、「研究の早稲田」「教育の早稲田」「貢献の早稲田」という三つの柱を掲げています。私もアメリカで大学経営を学んだとき、「エデュケーション」「リサーチ」と並んで「サービス」が重要だと教わりました。大学における「サービス」とは何か。そのときはぴんと来なかった記憶があるのですが、「貢献」と聞いて、なるほどと腑に落ちました。
田中 社会の一員として、大学も社会にきちんと貢献していくべきだという考え方です。いわゆるZ世代には、自然とそうした考え方のできる若い人が増えているようです。企業のトップに話を聞くと「私はどうすれば社会に貢献できますか」と聞いてくる新社会人が多いとか。好ましい傾向だと感じています。
髙宮 大学の社会貢献の一つとして、スタートアップの育成と支援があります。先日、貴学発のスタートアップで、今注目を集めているエキュメノポリス社を取材しました。同社の開発した英会話能力判定システムは貴学の英語教育にも活用されているそうですね。
田中 エキュメノポリス社は、早稲田大学アントレプレナーシップセンターという学内組織の支援を受けて誕生しました。このセンターは2008年にオープンした早稲田大学インキュベーションセンターが名称を変更したもので、起業家教育、ファンドプログラム、起業活動支援を行っています。
スタートアップ支援でいえばもう一つ、早稲田大学ベンチャーズというベンチャーキャピタルを2022年に立ち上げました。すでに4社に投資していますが、投資先はいずれも「ディープテック」と呼ばれる、革新的な科学技術を基に起業した会社です。
髙宮 「ディープテック」とは、例えばどのような企業ですか。
田中 今注目されているのが、本学理工学術院の青木隆朗教授を中心に進められている分散型量子コンピューターのプロジェクトです。青木教授は東京大学の出身で、東大総長だった五神真先生の研究室にいた人物。彼は本学発の独自技術であるナノファイバー共振器QEDを使い、従来の量子ビット数の限界を超える秒速1万ビットに挑戦しています。その技術を基に起業したのがNanofiber Quantum Technologies社で、CEOは慶應義塾大学の伊藤公平塾長の研究室出身で米国マサチューセッツ工科大学でも学んだ廣瀬雅氏。ここに、Quanmatic社を設立し、量子コンピューターのアルゴリズム開発で脚光を浴びている、早稲田出身の戸川望教授の技術を投入すれば、世界一速い量子コンピューターを開発するのも夢ではないといわれています。
髙宮 それはすごい! 貴学は「純血主義」(注)にとらわれないところがダイバーシティかつフレキシブルで素晴らしいですね。
(注)自校出身者を重用する大学文化
建学の理念に立ち返り
新たな改革を推進する
髙宮 文部科学省は2022年度に国際卓越研究大学制度を創設しました。初回の公募には東京大学、京都大学など10大学が応じ、早稲田大学もカーボンニュートラル社会の実現に向けた研究で申請されましたが、選ばれたのは東北大学だけでした。貴学は次回も再チャレンジなさいますか。
田中 次回は本学の教育の基本理念に立ち返って再チャレンジしようと考えています。
本学の創設者である大隈重信は、1913年の創立30周年記念式典で、後に「早稲田大学教旨」と呼ばれる三つのことを宣言しました。「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」です。このうち、大隈が最も大事にしていたのは「模範国民の造就」で、「一身一家一国の為のみならず、進んで世界に貢献する抱負が無ければならぬ」と強調しています。
現在、私たちが計画しているのは三つの教旨を実現するための新たな組織作りです。「学問の活用」については、私が理事だった2013年にグローバルエデュケーションセンターを開設しました。そこで、来たる2032年の創立150周年をにらみながら、「学問の独立」を実践するグローバルリサーチセンターと、「模範国民の造就」を実現するグローバルシチズンシップセンターを開設する予定です。建学の精神と142年の伝統を尊重しつつ、文理横断で体系化できるよう計画を進めています。
髙宮 私がアメリカで学んだ大学経営学では「ミッション・センタード(mission centered)」と「マーケット・スマート(market smart)」の二つを頭にたたき込まれました。意訳すれば、「何かあれば建学の精神に立ち戻れ」と「時代に合わせて柔軟に対応せよ」になります。貴学の改革の話に通じますね。
田中 実は英国オックスフォード大学に範を取っています。オックスフォードは900年以上の歴史がありながら、過去に開設したカレッジを一つもつぶさずに大改革を進めました。本学もそれにならい、伝統を尊重しつつ大改革を進めていきます。
全国レベルの体育会と
約500の公認サークル
髙宮 このインタビューは全国の難関大学にお願いしているので、なかなか体育会の話にならないのですが、貴学は全国レベルの体育会が多く、今年の箱根駅伝でも総合7位に入賞しました。誰もがスポーツで全国レベルを目指す必要はありませんが、仲間や学友に全国レベルの選手がいれば、学生生活もまた違ってくるはずです。体育会が強い大学で学ぶ意義についてはどうお考えですか。
田中 二つあると思います。一つは大学の体育会が活躍すると学生が盛り上がり、愛校心とアイデンティティーが強くなることです。2023年秋の六大学野球では、優勝をかけた早慶3連戦がありましたね。あのとき、慶應側のチケットは早々に売り切れたのに対し、早稲田側のチケットが売れ残っていると聞き、私は全学生にメッセージを送りました。「早慶戦を見ることは一生の記念になる」と。そのかいあってか、神宮球場が満員になりました。残念ながら優勝したのは慶應でしたが、結束力が高まるなど、学生諸君にはいい思い出になったと思います。
もう一つの意義は学生同士が互いに認め合うようになることです。スポーツで好成績を残す者はみんな頭が良く、どうすれば勝てるかを的確に考え、必死に努力しています。これこそが学生スポーツの醍醐味ですが、本学のいいところは、そうやって何かに打ち込んでいる学生がさまざまな分野に存在していること。スポーツでオリンピックを目指す者もいれば、映画、演劇、音楽の世界で身を立てようとしている者もいるし、文学や将棋で名を成す者もいる。もちろん、学問や研究に励んでいる者もいます。そんな彼らはそれぞれお互いに敬意を表し、リスペクトし合っている。この関係性も貴重な財産といえます。
髙宮 文学といえば、2021年には「村上春樹ライブラリー」がオープンしました。
田中 村上春樹氏から寄託・寄贈された蔵書や54言語に訳された著作物、さらには創作や翻訳をする際に参考にした本・資料まで、作品別に展示しています。村上春樹氏の「村上春樹を顕彰する施設ではない」「日本文学を世界文学の中に位置付けたい」という意向をくんで「国際文学館」と命名しましたが、それではどんな施設か分からないので、「村上春樹ライブラリー」という通称を付けさせてもらいました。今や世界中の村上春樹ファンが来館しています。
髙宮 貴学は演劇博物館も世界的に有名ですね。
田中 世界中から寄贈された演劇関連のアイテムが100万点以上収蔵されていて、「世界の大学や研究機関で演劇を専攻する者は、必ず一度は早稲田大学演劇博物館を訪れている」といわれるほどです。また、世界レベルということでは、本学は「政治学」でも国内トップになりました。アメリカの多くの政治学者がそう言明しています。
髙宮 最後に、受験生の読者にメッセージをいただけますか。
田中 本学の素晴らしい点は誰にでも居場所があることです。4年間、学問や研究に打ち込む人もいれば、映画、演劇、音楽、将棋、スポーツに熱中する人もいる。公認サークルは約500もあります。みんなが互いに認め合い、リスペクトし合うので、本学では誰でもやりたいことを自由にやれます。
学問についても同様です。本学では2022年から、学部・学科や学年を問わず、誰でもデータサイエンスを基礎から学べる仕組みを導入しました。この自由さ、柔軟さこそが早稲田らしさです。あなたの挑戦をお待ちしています。
■プロフィール
田中 愛治さん
たなか あいじ
●1975年早稲田大学政治経済学部卒業。1985年米国オハイオ州立大学大学院政治学研究科博士課程を修了し、Ph.D.(政治学)取得。専門は計量政治学、政治過程論。東洋英和女学院大学人間科学部助教授、青山学院大学法学部教授を経て、1998年早稲田大学政治経済学部教授。2006年から早稲田大学教務部長、理事(教務部門統括)等を歴任。2018年11月早稲田大学総長に就任。2014年7月から2016年7月まで世界政治学会(IPSA)会長(President)。文部科学省中央教育審議会委員、日本学術振興会委員等を務め、現在は日本私立大学連盟会長、日本私立大学団体連合会会長、全私学連合代表等を務める。
■早稲田大学の紹介
13学部20研究科を擁し
多様性に富む総合大学
明治時代を代表する政治家の一人、大隈重信により1882年に創立された早稲田大学は、日本で最も歴史と伝統がある大学の一つで、関東では「早・慶・上・理」と称される難関私学の一角でもあります。
主要キャンパスは早稲田・戸山・西早稲田・所沢の4カ所に分かれています。政治経済学部・法学部・教育学部・商学部・社会科学部・国際教養学部(早稲田キャンパス)、文化構想学部・文学部(戸山キャンパス)、基幹理工学部・創造理工学部・先進理工学部(西早稲田キャンパス)、人間科学部・スポーツ科学部(所沢キャンパス)の13学部20研究科(大学院)を擁し、学部学生数は約3万7800人、大学院学生数は約8500人、教員数(専任)は約2000人という規模です。海外からの留学生も約5600人を数える、極めて多様性に富んだ大学でもあります。
公認サークルは約500団体。また、「文武両道」の伝統の下、野球、ラグビー蹴球など44の体育各部は全国レベルの強豪ぞろいです。そのうち39部が慶應義塾大学と早慶戦を展開し、オリンピック選手も数多く輩出しています。
重要文化財の大隈記念講堂、蔵書約580万冊という図書関連施設、村上春樹ライブラリーに演劇博物館など、各種施設も充実しています。
■Y-SAPIXってどんな塾?