大学歴訪録 #12 名古屋大学
仲間と切磋琢磨する環境こそが大切
「勇気ある知識人」を育む総合大学
1939年に最後の帝国大学として誕生した名古屋大学は、医学部を源流としながらも、現在では文系・理系9学部を擁する総合大学となっています。2020年には、隣県にある岐阜大学との経営統合が大きな話題に。2022年4月に総長に就任した杉山直先生に、SAPIX YOZEMI GROUPの髙宮敏郎共同代表がお話を伺いました。
国内外二つの大学で
“梁山泊”を体験
髙宮 杉山先生は2022年4月、名古屋大学総長に就任されました。ホームページに掲載された「ごあいさつ」では、若手の優れた研究者たちが戦後再出発した名古屋大学に集結する様子を、『水滸伝』の“梁山泊”にたとえられていますね。そんな自由闊達な学風が、世界に類のないオリジナルな研究につながった。だから再び梁山泊を目指すのだ、と。ご自身も学問の梁山泊をどこかで体験されたのでしょうか。
杉山 30代前半に、カリフォルニア大学バークレー校に研究員として3年間留学しましたが、そこでの研究グループが一つの梁山泊でした。10人ほどいたメンバーは、世界中から集まった宇宙物理学の”強者”たちで、まさにダイバーシティーのるつぼのようでした。
髙宮 どのような方々だったのでしょうか。
杉山 17歳にして飛び級で大学を卒業した中国の天才少年。南アフリカで成績上位20位に入っていた女性研究者は中国人とユダヤ人のハーフで、しかもアメリカとドイツの二重国籍者。イスラエル国籍ながらアラブ系で、クリスチャンという研究者もいたし、フランスでドクターを取ったアルジェリア出身のベルベル人女性もいました。そんなメンバーが英語を共通言語に、グループ内で切磋琢磨しながら研究していたのですから、毎日がとても刺激的。多様性とはこのことだと実感しました。
髙宮 これからの名古屋大学も、ご自身が留学したカリフォルニア大学バークレー校のように、世界中から優秀な頭脳を集めるべきだということですね。
杉山 おっしゃるとおりです。実は、私にとって梁山泊の原点となる体験がもう一つあります。私は早稲田大学大学院で修士課程を修了し、博士の学位は広島大学大学院で取得しました。その3年間を過ごした広島大学理論物理学研究所が、私にとって最初の梁山泊だったのです。この研究所は、広島市内から電車で1時間半以上かかる辺鄙な海辺の町にありました。何人かの学生でシェアしていた一軒家は学生たちのたまり場で、部屋の隅にはいつも日本酒の一升瓶が転がっていました。学生たちはそこで夜通し酒を酌み交わしながら、宇宙論、相対性理論、素粒子論などを熱く語り合っていたのです。先生方も豪傑ぞろいで、夜中に学生たちが押しかけて議論を吹っかけても、嫌な顔一つせず、徹夜の議論につき合ってくれたものです。
髙宮 まさに「昭和」を思い出させるエピソードですね。
杉山 研究以外に何もすることのない、無我夢中で過ごした3年間でした。その体験が研究者としての土台を作ってくれたといえます。
ノーベル賞受賞者も
学問の学び方を学ぶ
髙宮 研究者を育成するには、梁山泊のような環境が必要だということですね。
杉山 はい。最も重要なのは多様な人々が切磋琢磨できる環境があることです。ただし、そこにヒエラルキーがあってはなりません。教員と学生のように立場に上下があれば、どうしても「教える」「教わる」関係になってしまうからです。学部生の間は致し方ない面もありますが、それでも教員と学生は可能な限り対等の立場であることが望ましいですね。
高校教育と大学教育の決定的な違いもそこにあります。高校までの教育は、その時点で「分かっていること」を教員が生徒に教えるというものです。教員は自分の専門分野について「分かっている」ことを生徒に教えるので、そこにはどうしても上下関係が生じます。
しかし、現実社会では「分かっていない」ことの方が多い。また、それまで「分かっている」とされた定説も、資料や法則などの新たな「発見」で容易に覆ります。そんな「分かっていないこと」や定説を覆す「発見」を学ぶのが大学教育なのです。まだ「分かっていない」点では教員も学生も同レベルですから、教員が学生より偉いわけではない。では、大学の教員は何を教えるのか。「分かっていない」ことを「分かる」ためにはどうすればよいかという、学問の仕方を教えるのです。
髙宮 非常に分かりやすいお話ですね。
杉山 本学理学部のご出身で、2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英先生に、こんな逸話が残っています。益川先生が本学を志望するようになったきっかけは、本学教授だった坂田昌一先生が素粒子に関する理論「坂田模型」を発表して話題になったことです。当時高1だった益川先生は、「素粒子研究の現場を自分の目で見てみたい」と思い、本学理学部を受験しました。入学後、益川先生はある教授に挑戦するつもりで物理の難問を携えて質問しに行ったところ、「急に聞かれたら分かるわけないだろ! この本に書いてあるから自分で調べろ」と一喝されたそうです。このことに驚いた益川先生は、大学は学問そのものを学ぶところではなく、学問の学び方を学ぶところだと気づいたそうです。
髙宮 益川先生がノーベル賞を受賞されたのは、貴学で研究の仕方を学んだから、なのですね。貴学が東京大学、京都大学に次いでノーベル賞受賞者を輩出しているのも、分かるような気がします。
大学時代こそ挑戦し
大いに失敗せよ
髙宮 2023年版の大学案内を拝見すると、表紙に「勇気ある知識人」というキャッチプレーズがさりげなく書かれています。この「勇気ある知識人」とはどのような人なのでしょうか。
杉山 私が考える「知識人」とは、自ら研究する能力を備え、実社会で使える知識をしっかり学ぶことのできる人。「勇気ある」は「何事にもチャレンジできる」と言い換えることができると思います。
総長に就任して以来、私は「失敗してもいいんだ」という話を折に触れて語っています。特に大学生の間は何度失敗してもいい。時々、何かで失敗すると全人格を否定されたみたいに落ち込む学生もいますが、深刻に考える必要は全くありません。人生は長いですから、学生時代の失敗なんていくらでも取り返せます。むしろ学生時代は失敗した方がいい。なぜなら、人は失敗体験からより多くのことを学ぶためです。本学の学生諸君には、より多くのことに挑戦して失敗し、そこからさまざまなことを学んでほしいですね。
髙宮 貴学は2020年4月に岐阜大学との経営統合を果たし、新たに東海国立大学機構を設立されました。その狙いは何だったのでしょうか。
杉山 2002年以降、全国の国立大学で再編・統合の動きが見られるようになりました。そのなかで、本学と岐阜大学の経営統合がユニークなのは、互いに文系学部・理系学部・医学部を持つ総合大学であること。また、その狙いは、教育に関しては両大学が持つ優れた教育リソースを持ち寄りながら、より広い視野で全体を見直し、東海国立大学機構として教育を再構築することです。まだ道半ばですが、事務部門やコンピューター・ネットワーク・システムの共通化で、すでにコスト削減などの効果が上がっています。
本学は「世界に羽ばたく勇気ある知識人を育成する」、岐阜大学は「地域に貢献する人材を育成する」という教育理念を掲げています。統合でそれぞれの教育が揺らぐことはありませんが、今後は共有化できる部分は共有しながら、新たな教育の形をつくっていきたいですね。
研究に関しても、例えば糖鎖(グルコースなど糖が鎖状に結合した化合物)の研究では岐阜大学が世界的にも進んでおり、本学にも研究チームがあるので、思い切って統合。糖鎖生命コア研究所という世界トップレベルの研究拠点を創出することができました。
来年度入試から
工学部に女子枠を設定
髙宮 貴学では来年度入試から工学部に「女子枠」を設けますね。理系分野における女子学生の比率の低さが課題なのでしょうか。
杉山 はい。特に工学部で圧倒的に。理系分野に興味があって成績優秀な生徒は、女子にも一定数いるはずです。しかし、進路指導のどこかで医学部ばかり勧められるのか、あるいは「女子は工学系には不向き」という無意識の心理的バイアスが働いているのか、工学部を受験する女子は毎年少ないのが現実です。少子化で生産年齢人口が年々減少していくわが国において、工学系でも女子にバリバリ働いてもらわなければ、日本社会は立ちゆかなくなります。
そこで、来年度から工学部の学校推薦型選抜の募集人員を、電気電子情報工学科は11人から12人に、同エネルギー理工学科は4人から6人にそれぞれ増やし、各半数を女子枠とすることにしました。「女子にも工学部を選択する生き方がある」ことを明示するのがその狙いです。
髙宮 ここまでどちらかというと理系分野について熱く語っていただきました。文系学部についてもお伺いできますか。
杉山 本学には学部が九つあります。情報学部を半分文系とすれば、半数の4・5学部が文系です。本学は全般的に理系学部の方が知られていますが、文系学部にも他大学にない魅力があります。例えば、経済学部は名古屋高等商業学校から続く100年超の歴史があり、経済界に多くの優秀な人材を輩出してきました。文系の就職率も理系と同様にほぼ100%です。
髙宮 最後に、読者へのメッセージをお願いします。
杉山 私は私学出身ですが、国立大学の魅力を今風に言えば“コスパ”がいいことです。ざっくりですが、教員1人当たりの学生数は国立大学が約7人で、私立大学は約30人。国立の方が私立の4倍以上面倒見がいいということです。加えて、学費は私学より断然安く、まさにお得です。
本学は現代の梁山泊を目指します。入学したらどんどん失敗するつもりで、本学の門をたたいてみませんか。
■プロフィール
総長 杉山 直さん
すぎやま なおし
●1984年早稲田大学理工学部物理学科卒業。1986年早稲田大学大学院理工学研究科物理学及び応用物理学専攻博士前期課程修了。1989年広島大学大学院理学研究科物理学専攻博士後期課程修了。1991年東京大学理学部助手。1993年カリフォルニア大学バークレー校研究員。1996年京都大学大学院理学研究科助教授。2000年国立天文台理論天文学研究系教授。2006年名古屋大学大学院理学研究科教授。2007年東京大学数物連携宇宙研究機構主任研究員(兼任)。2017年名古屋大学大学院理学研究科長・理学部長。2022年東海国立大学機構大学総括理事・副機構長、名古屋大学総長。専門は宇宙論で、特に宇宙背景放射。著書に『膨張宇宙とビッグバンの物理』(岩波書店)、『宇宙の始まりに何が起きたのか ビッグバンの残光 「宇宙マイクロ波背景放射」』(講談社)などがある。
■名古屋大学の紹介
名古屋大学の前身は1871(明治4)年、西洋医学を普及させるために当時の名古屋県が設立した仮病院・仮学校までさかのぼります。
愛知県民の悲願だったとされる名古屋帝国大学が設立されたのは1939(昭和14)年のことでした。その後、第八高等学校、名古屋経済専門学校(旧名古屋高等商業学校)、岡崎高等師範学校などを包括し、1949(昭和24)年に新制名古屋大学としてほぼ現在の陣容を整えました。今日では文・教育・法・経済・情報・理・医・工・農の9学部と大学院13研究科(独立研究科4を含む)などを擁する中部地方屈指の総合大学として知られています。
キャンパスは東山・鶴舞(医学部医学科)・大幸(医学部保健学科)の三つに分かれており、学生数は学部生と大学院生を合わせて約1万5000人に上ります。
近年の大きなニュースといえば、まず2018年に世界最高水準の教育研究活動を目指す「指定国立大学法人」に指定されたこと。続いて2020年に岐阜大学との経営統合が行われ、新たに東海国立大学機構が発足したことです。新体制の下、多くのプロジェクトが進行中で、名古屋大学は今まさに第3の変革期を迎えています。
■Y-SAPIXってどんな塾?