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リベラル書籍紹介#18 『「宿命」を生きる若者たちー格差と幸福をつなぐもの』土井 隆義

この連載ではY-SAPIXのオリジナル科目「リベラル読解論述研究」で使用した書籍について、担当する職員が紹介していきます。

今回は、高校生6月期で使用した『「宿命」を生きる若者たちー格差と幸福をつなぐもの』です。

『「宿命」を生きる若者たちー格差と幸福をつなぐもの』土井 隆義
(岩波ブックレット、2019年)

現代の若者たちに課せられた「宿命」とは

 本書の題名で目を引くのは「宿命」という単語です。カギカッコがつけられ、強調されていることから、この書籍では宿命という言葉にスポットを当てていることがわかります。
まず、宿命という言葉の意味をあらためて確認してみましょう。宿命という言葉は「生まれる前から定められており、変更がきかない運命」のことです。自分の意思で変えられないめぐり合わせのことを運命と言いますが、宿命とはそのうち個人の力で変更できないものに限定されているということです。つまりこの題名で著者は、本書の内容が、現代の若者が「自分の力で変えられない」ものを課せられて育ってきたことの問題提起とその証明であることを、端的に説明しているのです。
 平成から令和の時代に生まれ育った若者たちに課せられた「宿命」。それは、長きにわたる日本経済の停滞です。かつての日本は、年によって多少の変動があるものの、高度経済成長からバブル景気まで長い間経済的な成長を続けてきました。また、その恩恵を受け取ることができたのは一部の富裕層だけではありません。高度経済成長期、一億総中流という言葉が象徴するように、熱心に仕事をすればそれに見合った収入を手にし、生活を豊かにできるチャンスは誰にでもある時代でもありました。しかし、バブル崩壊をきっかけに日本は不況に陥り、経済は停滞しました。そしてそれ以降日本の社会環境は、社会的格差は広がり、人並みの生活を送れない相対的貧困に苦しむ人々が増えるなど、悪化の一途をたどっています。生まれたときからこのような時代の中で育ってきた現代の若者はさぞかし不幸な思いをしているのであろう。このような現状を知ると、誰もがそう考えるのではないでしょうか。

幸福な「希望を持たない」若者たち

 しかし実際は、社会環境の悪化と反比例するように、若者の生活満足度は上昇を続けています。また、幸福感を感じる若者の割合も多いようです。これは一見すると不思議な現象のように見えますが、これを著者は、現代の若者が「未来に希望を持たない」ことが理由であると説明しています。ここで注意すべきなのは「未来に希望を持てない」のではないということです。前述の通り、彼らは最初から経済の停滞した社会に生まれて成長したため、経済が上り調子になり、希望に満ちている日本社会というものを知りません。そのため、経済的に豊かでなくても手に入れられる、目の前のささやかな幸福を感じることを優先できるのです。本書の前半部では、経済が豊かだったころと現代を比較し、生活を満足させてくれるものは何か、幸福だと思える状況はどんなものか、などをそれぞれの時代背景から探り、そこから発生した価値観の変容について説明します。そしてその内容から、日本社会が与えた「宿命」の影響は、現在の生活満足度や幸福感のみならず、若者の人生観にも大きな影響を及ぼしていることが判明していきます。

「宿命」がもたらした時代の変容

 最初に述べた通り、現代の若者は、日本経済の停滞をきっかけとして「宿命」を背負わされて生まれました。すると、若者は無意識のうちに、自分の人生を「宿命」めいたものに委ねて成長するようになっていきます。具体的には、最初に生まれ育った環境やそこで出会った人間こそが自分の人生の基盤を作るのだと信じるようになります。さらに、生まれる前から自分に備わっているであろう気質・性質に深く興味を持ち、それを軸にして今後の人生の進路を決めていきます。その例として著者は、成長しても地元を離れずに就職して子育てを続ける若者が近年増えていることや、前世やオーラ診断に代表されるスピリチュアルブームなどを挙げています。かつて経済が豊かだった時代では、生まれ育った環境に多少の差があったとしても、それから目標を持って努力すれば道は開け、自分の望み通りに人生はどのようにでも変えられるという考えが主流でした。これは現代の、「宿命」が個人の人生を決める何よりの決定的要素だと思われる傾向とは正反対のものといえます。本書の後半から最終章では、この価値観や人生観がどのように形成されていったか、また、このように現代に根付いた「宿命」ありきの考え方が引き起こす問題と、その解決策が記されています。

本書を読んで考えてほしいこと

 本書でも紹介されているように、現代社会には貧困や格差など、改善すべき問題は山のように存在します。また、そのために経済状況の改善を図るべきだという声もよく耳にします。しかしその問題を考えるときには、半世紀ほどの間に、本書で紹介されたような「宿命」がもたらした価値観の変容が若者の間に起きていることを、念頭に置く必要があります。
こうした価値観を支えているもののひとつとして、日々発達を続けるインターネット上のコンテンツの存在があります。まず、SNSの発達で同じような気質・性質の人を見つけ出し、交流を維持することが容易なものとなりました。これにより現代における人間関係とは、同じ地元や似たような性格の人々と小さな輪の中で交流を深めることが主となっています。また、今でもネット上では、さまざまな種類の性格診断や占い、前世診断などと称して自分の気質・性質を無料で調べられるコンテンツが大量に存在します。よって、本書で紹介されている現代の若者の「『宿命』を基盤とした価値観」は今も共有され続けており、また、数年のうちに変わることは考えにくいと思われます。
経済が豊かだったころの日本を知る人の中には、本書で紹介された現代の若者や社会状況を知り、嘆く人もいるかもしれません。しかし、だからといって価値観をかつての時代のものに戻すことは不可能なため、過去にとらわれ続けることは建設的ではありません。「宿命」を生きる若者たちは今後いかに生きるべきか、そしてそれを取り巻く社会はこの先どの方向へ向かうべきなのか、本書を読んで考えてみてください。

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