リベラル書籍紹介#6 『日本語は「空気」が決める』石黒圭
この連載ではY-SAPIXのオリジナル科目「リベラル読解論述研究」で使用した書籍について、担当する職員が紹介していきます。
今回は5月期に中学2年生の授業で使用した『日本語は「空気」が決める』です。
書籍タイトルの「空気」とは場の空気を指します。「空気を読む」という表現があります。「自分以外の相手の立場や表情からあれこれ察することで、その場にふさわしい態度をとること」という意味で使われるのが一般的です。私たちは日々の暮らしで空気を読んで行動していますが、状況に応じて言葉を使い分けるのもその方法のひとつといえます。この本ではそういった表現の使い分けにどのようなパターンがあるか、なぜ使い分ける必要があるかを分析しています。
成長過程で私たちは言葉の使い方を学習していきます。子どもの頃は誰にでも同じ口調で話していた人でも、成長するにつれ状況に応じて言葉を使い分けるようになります。敬語であれば、さまざまな場で多様な経験を積むうちに次第に適切に使えるようになってきます。その時々で空気を読みながら言葉を選べるようになるのです。
このように言葉を巧みに使い分けることで人間関係は円滑なものになります。この本に出てくる表現の使い分けのパターンを見ると、言葉遣いを決めるのは相手の年齢だけではありません。出身地や性別、性格などあらゆる要素が関係しており、それぞれ意味は同じでもその状況により適したものがあることが分かります。こうした要素を重視して言葉を使い分ける例として、故郷の友人に電話するときに方言を使ったり、好きな人に上品な言葉を使ったりする、などのケースが挙げられます。こうした使い分けもまた、相手に親近感や上品さのイメージを示すことで自分をより魅力的に見せることが目的です。理想的な人間関係を築くためには言葉の使い分けが必要というわけです。
この本で言葉遣いの分析対象は、漫画や小説など架空作品の世界にも及びます。架空作品の世界ではたいてい登場人物ごとに口調が明確に分けられています。また、古風な表現を使う人物は落ち着いた言動をする、若者言葉のようなくだけた言葉を使う人物は活発に行動するなど、言葉と性格が強く相関していることがあります。こういった表現は「役割語」と呼ばれ、登場人物像を端的に表現する手法としてよく見られます。役割語は言葉遣いとその人自身の性格を決まりきった形で結びつけているという点から、ステレオタイプと見る向きもありますが、この本では役割語が不特定多数の人間(読者)に対して、作者が想定しているキャラクターの一貫性を認識させ、人物像を分かりやすくするための有効な手段であると解説しています。つまり、役割語もまた、相手を意識した言葉遣いと考えればよいのです。
このように、日本語は状況によって多様な表現をとることが可能です。その柔軟性は日本社会に深く根付いていることが分かります。英語が世界での標準語となって久しく、日本ではすでに英語の早期教育が行われています。公用語化に向けた動きも一部に見られます。一方で、その場にふさわしい言葉遣いを選び、自他のより適切で豊かな関係を築こうとする古くからの日本人の姿勢には見るべきものがあります。私たちが日本語を通してどのように社会と接しているか、日本人らしい豊かなコミュニケーションとはいかなるものか、そういったことをこの本を読んで考えてみましょう。