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リベラル書籍紹介#2 『寺内貫太郎一家』向田邦子

この連載ではY-SAPIXのオリジナル科目「リベラル読解論述研究」で使用した書籍について、担当する職員が紹介していきます。

今回は1月期に中学1年生の授業で使用した『寺内貫太郎一家』です。

今回の書籍

『寺内貫太郎一家』向田邦子(新潮文庫、1983)

『寺内貫太郎一家』はそのタイトルの通り、主人公寺内貫太郎とその家族を中心にした物語です。この物語は著者・向田邦子の脚本によるテレビドラマ版が特に有名であり、70年代を代表するホームドラマとして現在まで多くの人々に親しまれています。授業で取り扱うのは、テレビドラマ版から著者本人が小説化した計12話のエピソードです。

『寺内貫太郎一家』の特徴として、登場人物の長所と短所がバランスよく描かれていることが挙げられます。本書最初のエピソード「身上調査」では主要人物の紹介が書かれていますが、主人公寺内貫太郎の紹介ひとつとっても、ワンマンで怒りっぽくて不器用、親孝行で商売熱心で情に厚いという特徴が良い点も悪い点も平等に、一人の人間像を表すものとして描かれています。このような、ことさらに長所ばかり強調せず、欠点や矛盾点まで含めて人間の魅力とする著者のまなざしは『寺内貫太郎一家』のみならず、他の作品群でも一貫しています。

はたしてそのまなざしの原点はどこにあるのでしょうか。その手掛かりとして、本書裏表紙の紹介文にある一節に注目してみます。「貫太郎のモデルは、私の父向田敏雄である」。この父親について詳しく語られている作品として『父の詫び状』(文春文庫)という著者のエッセイ集があるため、そちらも参考図書として紹介します。内容は、主に著者の幼少期から少女期の出来事を父の思い出中心につづったエッセイです。これを読むと、著者の父親が主人公寺内貫太郎のモデルだということがよくわかります。エッセイでは、著者の父親は家長として常に家族に厳しい態度をとり、少しでも逆らおうものならすぐに怒る怖い父親として描かれています。しかし、一方で子どもに対して愛情を見せることも頻繁にありました。そのエピソードとして「飲み会の帰りに子どもたちによくお土産を買って帰る」「著者の入学試験前日に自分のことのようにうなされる」などがあります。ここから、著者の父親の持つ愛情とは、たとえ見えないところでも子どもを思い、時に夢の中でなかば無意識に子どものことを案じるという、並大抵ではない深い愛情であったことがうかがえます。人生では数多くの人間と出会う機会がありますが、自分以外の誰かのことで心をくだくほど深い愛情を注げる対象となると、そう多くはないはずです。ここまで読んで、著者の父親の、怒りっぽくてワンマンだが情が深く家族のことを誰よりも思っている、という人物像はまさしく前述した寺内貫太郎のものと重なることが見てとれるでしょう。

『寺内貫太郎一家』でも、貫太郎の情の深さが描かれる場面は随所にみられます。授業で扱う「EGG」では、貫太郎と共に働く石屋職人のタメ公が風邪をひき、それを見た貫太郎は半日かけて特効薬となる水あめをこっそりと購入してきます。また「祭りばやし」では、お手伝いのミヨ子が一年前に母を亡くしたことを知ると、祭りの途中にもかかわらず寺内家で一周忌の法要をとり行おうとします。タメ公やミヨ子は寺内家と血のつながりこそありませんが、職場や家で生活の一部をともにしているという点では、家族と同等の存在といえます。また、紹介されたエピソードを読むことで、粗暴な面がありながらも寺内家全員が貫太郎を一家の長として信頼しているのはなぜか、という点も同時に理解できることでしょう。

テレビ放送、および『父の詫び状』の出版からゆうに40年以上が経過しました。時代は昭和から平成へと移り変わり、さらに令和に突入し、生活様式や家族の形態も大きく変容しています。寺内貫太郎一家のように毎日ちゃぶ台を囲んで食事する家庭も、三世代以上で暮らす家庭も激減しているのは想像に難くないでしょう。しかし、この小説に描かれた一家の様子はもはやただ懐かしいだけのものかというと、そうでもありません。昭和、平成、令和、いつの時代もひとつ屋根の下で暮らす人々がつむぐ生活は存在します。そして、そこで育まれる普遍的な愛の形が『寺内貫太郎一家』にはっきりと描かれています。過去から今への家族のあり方の変遷とともにぜひ、いかにも人間らしい魅力にあふれた登場人物、そして彼らの行動や言葉の端々からにじみ出る愛情に着目して本書を読んでみてください。

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