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大学歴訪録#16 東京大学

学術に挑戦する気概と責任感を持ち
より広い世界に飛び立ってほしい


日本最古の国立大学である東京大学は、言わずとしれた国内最難関大学です。その素顔について、2021年から副学長を務める藤垣裕子先生に、SAPIX YOZEMI GROUPの髙宮敏郎共同代表がお話を伺いました。

リベラルアーツ教育には
70年にも及ぶ積み重ねが


髙宮 ここ十数年ほどの間に、大学教育でリベラルアーツの重要性が改めて注目されるようになりました。貴学では1.2年次の教養課程で、長くリベラルアーツ教育を実践してこられましたね。

藤垣 本学の前期課程(1.2年次)で行われているリベラルアーツ教育には70年に及ぶ歴史の積み重ねがあります。その意味では、昨今のいわゆるブームとは異なる文脈で語るべきかもしれません。
 本学には毎年約3100名の新入生が入学します。うち学校推薦型選抜等の約100名を除く約3000名は、自分の進む学部が入学時点では決まっていません。ただし、全ての新入生は駒場キャンパスにある教養学部に在籍し、そこで2年間、特定の専門分野にとらわれることなく、前期リベラルアーツ教育を受けることになります。


東京大学 理事・副学長 藤垣裕子 先生

髙宮 かつてはほとんどの大学が教養学部を設けていましたが、1991年に実施された「大学設置基準の大綱化」により、多くの大学が廃止してしまいました。


聞き手 SAPIX YOZEMI GROUP 共同代表 髙宮 敏郎

藤垣 そんな中、あえて教養学部を残したのが本学です。他に今も残しているのは、埼玉大学とICU(国際基督教大学)くらいでしょうか。私を含めた教員は皆、本学が現在も教養学部を維持していることを誇りに思っています。

髙宮 東京大学憲章にも「東京大学は、学部教育において、幅広いリベラル・アーツ教育を基礎とし、多様な専門教育と有機的に結合する柔軟なシステムを実現し、かつ、その弛まぬ改善に努める」と明記されています。藤垣先生は講演などで、リベラルアーツは単なる「一般教養」の同義語ではないと明言されていますね。

藤垣 リベラルアーツとは何かと問われれば、「人間を種々の拘束や制約から解き放って自由にするための知識や技芸」と答えるでしょう。例えば、「知識の限界から自由になる」のが「基礎教育」であり、「経験の限界から自由になる」のが「国際研修」や「課外活動」であると考えます。

髙宮 貴学のリベラルアーツ教育がユニークなのは、3.4年次においてもリベラルアーツを学ぶ環境がきちんと整備されていることです。こうした試みはどのように始まったのでしょうか。

藤垣 きっかけは東日本大震災でした。あの大地震とその直後に発生した原発事故は、本学に限らず、学術に関わる全ての人に猛省を促しました。なぜかといえば、あれは絶対に起こってはいけない事故だったし、未然に防ぐこともできた事故だったからです。
 当時も今も、わが国の原子力研究は世界トップレベルです。地震の研究も津波の研究も、日本は世界の最先端を走っています。にもかかわらず、なぜ事故が起こったのか。それは、それぞれの研究があまりに専門分野に特化しすぎていて、他分野との連携や情報交換がなされていなかったからです。例えば、原子力の研究者が地震学者や歴史学者と知識や情報を共有していたら、津波で電源が失われるような事態は避けられたのではないでしょうか。

髙宮 専門家ほどたこつぼ化してはいけない、ということですね。

藤垣 その反省から、私たちは専門教育を受け始めてからでも、広い視野を持ち、他分野についても真摯に学ぶリベラルアーツが必要だとの結論に達しました。それに基づき、カリキュラムとして設計したのが後期教養教育科目です。教養教育は2年間で終わるわけではなく、むしろ専門課程に進んだ後でこそ意味を持つものもあると考えています。

 東京大学は1877(明治10)年に創設された日本初の国立大学であり、国内最難関大学でもある。主なキャンパスは東京都文京区本郷・弥生の「本郷地区キャンパス」、目黒区駒場の「駒場地区キャンパス」、千葉県柏市柏の葉の「柏地区キャンパス」の3カ所。

東京大学ならではの
「進学選択制度」


髙宮 「進学選択制度」も貴学ならではのシステムですね。この制度にはどういった狙いがあるのでしょうか。

藤垣 学生の皆さんに、自分が本当に学びたい学問を選択してもらう。それが狙いです。
 高校までに学ぶ学問、あるいは大学受験に向けて学ぶ学問は基本的に5教科7科目です。しかし、高度に専門化した最先端の学問は、必ずしも5教科7科目という枠組みで分類できるものではありません。科目融合的な学問もあれば、高校教育では思いも寄らない分野の学問もたくさんあります。そんな多種多様な学問の中から、高校までの知識で一つだけ選択しようとすれば、齟齬が生じる恐れも十分にあります。そうならないようにするために、1.2年次でさまざまな学問に触れてもらい、高校時代には気づかなかった自分の興味や関心の方向性を見極めた上で、3.4年次の進学先を自分の意思で決めてほしい。進学選択制度には私たち教員のそんな思いが込められています。

 進学選択制度の概略は次のとおり。
東京大学には法・経済・文・教育・教養・工・理・農・薬・医と、文理合わせて10の学部がある。ただし、一般選抜の段階では、進学したい学部を選んで受験するのではなく、文系なら文科一類・二類・三類、理系なら理科一類・二類・三類の6科類に分かれて受験する。合格し、入学した後は、前述したとおり全員が教養学部に在籍。その後、2年次の夏休みまでに、3年次に進学を希望する学部・学科を学生自身が選択し、大学のウェブサイト上で登録する。希望どおり進学できるかどうかは1.2年次の学業成績によるところが大きいが、志望理由書や面接にも依拠して進学判定が行われる場合もあり、必ずしも成績次第というわけではない。文一なら法、文二なら経済、文三なら文・教養・教育、理一なら工・理・教養、理二なら農・工・薬、理三なら医と、科類ごとに進学先の大枠が決まっているが、成績が良ければそれにとらわれない進学も可能だ。

「多様性」と「包摂性」
「D&I宣言」とは


髙宮 さて、貴学の最近のトピックとしては、2022年6月に「ダイバーシティ&インクルージョン宣言(D&I宣言)」を制定したことが挙げられると思います。藤垣先生が理科一類に入学された頃は、女性としていろいろな意味でのご苦労があったのではないでしょうか。

 東京大学は藤井輝夫総長が就任した2021年の秋、数十年先を見据えた基本方針として、UTokyo Compass「多様性の海へ:対話が創造する未来」というビジョンを公表した。それを受け、2022年6月に制定されたのが「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」だ。その骨子は以下のとおり。「東京大学が学術における卓越を実現するためには、多様な構成員による対話が不可欠だ。そこで、全ての構成員が人種・国籍・性別・性自認・性的指向・年齢・言語・宗教・経歴等で差別されないことを保障する。さらに多様な構成員が大学のあらゆる活動に参画する機会も保障する」

藤垣 まず、女性らしさをできるだけ出さないようにしていました。その方が生きやすかったからです。当時、東大の理系は完全な男性社会でしたから、女子は普通にしていても目立ってしまう。だから、常に目立たないよう、女性らしさ、女の子らしさを消すように振る舞っていました。ある時、ある教授から「東大の女子学生はなぜ、いつも保護色みたいな服ばかり着ているの?」と笑われましたが、確かに、黒系・茶系・グレー系の地味な服ばかり着ていました。
 あれから長い年月がたちましたが、女性の生きづらさは今も日本社会のあちこちに残っています。仕事柄、国際会議に出席することが多いのですが、欧米の女性研究者は皆さんとてもスタイリッシュで、フェミニンな服を美しく着こなしています。見ていてため息が出るほどで、私の意識も次第に変わりました。日本でもキャリアを持つ女性こそファッションで自己主張しなければ、と。女性研究者が女子にとって憧れの存在にならなければ、その数は増えていきませんから。
 

髙宮 私の記憶では、ダイバーシティについては濱田純一総長がとても熱心だった印象があります。

藤垣 濱田先生もダイバーシティに前向きでしたが、藤井総長も女性登用についてはとても積極的です。2021年4月に新執行部を立ち上げた時は、非常勤を含む理事8人のうち女性が5人を占めたことが話題になりました。また、海外からの留学生に対しても、できるだけ居心地のいい環境を提供しようと心を砕かれています。

髙宮 さすがに宣伝の効果として表れるには、もう少し時間がかかりますよね。

藤垣 まだ1年たっていませんから。ただ、学内の雰囲気は確実に変わりました。例えば、科所長会議という研究科長と研究所長が集まる会議があるのですが、少し前まで会議室の室内は真っ黒でした。顔触れがダーク系のジャケットを着た男性ばかりだったからです。そんな環境にいれば、女性は保護色を身にまとわざるを得ません。ところが、最近は女性の出席者が増えたので、保護色を着ていく必然性が皆無に。服装選びの点でも楽になりましたね(笑)。

髙宮 そういった機運が外部にも広まっているのか、2023年度入試では、全合格者に占める女子の比率が22・3%と過去最高を記録しました(※)。

(※)Y-SAPIXのサイト「東大研究室」調べ。「外国学校卒業学生特別選考
」の合格者は含めない

藤垣 前年から2ポイント近く増えたので、私もほっとしました。しかし、数字としてはまだまだ低いですね。本学には「UTokyo Global Navigation Board」という、海外大学の総長や有識者から意見やアドバイスをいただく会合があります。今年3月の会合で女子合格者が増えたことを報告したところ、多くの出席者から「低過ぎる」と叱られました。アメリカのスタンフォード大学では女子の比率が52%を超えているとか。本学の多様性&包摂性への挑戦はまだまだこれからです。

「志ある卓越。」
東京大学教員の願い


髙宮 最後に、読者へのメッセージをお願いします。

藤垣 本日お話ししたとおり、本学では今、D&I宣言を推進中です。志の高い女子の皆さんにはぜひ受験してほしいですね。
 D&I宣言は、実は男子にとっても意味があると考えています。新しい発想やイノベーションは多様性の中から生まれるためです。自分とは異なる価値観や考え方の人たちと共に学ぶことで、男子の皆さんが得るものも大きいはずです。

髙宮 現在、貴学では「志ある卓越。」という格調の高いキャッチフレーズを掲げていますね。大学HPを訪れる生徒が最初に目にする言葉でもあります。このフレーズにはどんな思いが込められているのでしょうか。

藤垣 「卓越」は、英語でいえばexcellentあるいはoutstandingに相当します。ここでは、日本の大学で最も卓越した研究者が集まっている場所を意味します。しかし、学術的に単に卓越しているだけではいけません。この世界をより良くするために、学術の分野で挑戦する気概と責任感を持ってほしい。「志ある卓越。」にはそんな私たちの願いが込められています。優秀な学生の皆さんには、本学を踏み台にしてより広い世界に飛び立っていってほしいですね。

■プロフィール
 理事・副学長 藤垣 裕子さん
ふじがき ゆうこ
●1985年東京大学教養学部基礎科学科第二(システム基礎科学)卒業。1990年東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻広域システム科学系博士課程修了。博士(学術)。東京大学助手、科学技術庁科学技術政策研究所主任研究官、東京大学総合文化研究科准教授を経て、2010年教授(現職)。2013年東京大学総長補佐、2015.16年総合文化研究科副研究科長、2021年東京大学理事・副学長(学生支援、入試・高大接続、評価)に就任。2013.16年科学技術社会論学会会長。専門は科学技術社会論・科学計量学。著書に『専門知と公共性 科学技術社会論の構築へ向けて』(東京大学出版会)、『科学者の社会的責任』(岩波書店)、共著に『大人になるためのリベラルアーツ』(正・続)(東京大学出版会)、編著に『科学技術社会論の挑戦1~3』(東京大学出版会)などがある。

この記事は2023年6月21日刊行『Y-SAPIX JOURNAL』2023年7・8月号に掲載された記事のWeb版です。

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