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リベラル書籍紹介#24 『おもしろ古典教室』上野誠

この連載ではY-SAPIXのオリジナル科目「リベラル読解論述研究」で使用した書籍について、担当する職員が紹介していきます。


今回は、中学1年生が12月期・冬期で使用した『おもしろ古典教室』です。


『おもしろ古典教室』上野誠(ちくまプリマ―新書、2006年)



――古典なんか死んだ人のカスみたいなもんだ。」(本書 p.17)


これは本書第一章のある節の小見出しです。やや奇をてらった表現に思えますが、読者の皆様はどのように感じるでしょうか。

もともと古典が好きでない方は「その通りだ」と共感するかもしれませんし、古典が好きな方はどう反論しようかと考えるかもしれません。

古典の価値を否定するこの言葉は、面白いことに中国の古典である『荘子』に登場します(古典が古典を自己否定している形になりますね)。

斉の桓公が書物を読んでいると、車輪作りの職人が「何を読んでいるのか」と聞きました。

桓公が「死んだ聖人の言葉だ」と答えると、職人は「それならあなたの読んでいるものは昔の人のカスだ」と言いました。

怒った桓公は職人に理由を聞くと、

「車輪を作るときは木材の削る量が多すぎても少なすぎても良くない。こういったコツは言葉では説明できないので、自分の息子に伝えることもできない。だから自分は70歳になっても車輪作りを続けているのだ。同様に古典もそれを書いた人が生きているのでなければカスと同じである」

という理屈を述べました。

上記の理屈を聞くと「古典なんか死んだ人のカス」だという意見も納得できる部分があるのではないでしょうか。

おそらく車輪作りなどの手工業だけでなく、スポーツや勉強、人の生き方についても同様のことが言えるでしょう。

どんなに立派な人の伝記を読んだとしても、その人と同等の人格を得ることはできません。

著者はこの見解を認めたうえで、「どうすれば古典を生きたものにできるのか」について『論語』などの古典を引用しながら意見を述べています。
ぜひ本書を読んで確かめてみてください。

徒然草の人生訓


第二章では、『徒然草』が主な題材として扱われています。
『徒然草』は学校の教科書にも採用されていることが非常に多い古典です。

その理由はさまざまに考えられますが、その一つとして現代の人間社会でも通用する教訓話が多く含まれているということが挙げられると思います。

著者が本書で取り上げている段、「牛を売る者あり」もその一つです。

牛を売る人がいて、購入者が翌日に代金を支払う約束になっていたところ、その前夜に牛が死んでしまった。

その話をある人が聞き、

「牛を売る人は確かに損をしたが、大きな利益も得た」

と言った。

理由としては、

「人間は死が常に近いことを自覚していないが、牛の突然の死によってそれを知ることができた。一日分の命の価値は、牛の値段よりもはるかに高いといえるので、牛を売る人は大きな利益を得たといえる」

とのことである。

さらに、その人は「人間は死を嫌うのであれば、生を愛すべきだ。『存命の喜び』を日々楽しむべきである」と述べた。

ただの屁理屈として一蹴してしまうこともできますが、本書の著者は「存命の喜び」を「生きて今ある喜び」と訳し、現代人にも必要だと言っています。

考えてみると「死」が現代の人間にもいまだ克服できていないものである以上、著者の述べるとおりですね。

「死」がいつやってくるかわからないことを自覚し、「生きて今ある喜び」を楽しむ姿勢は、時代を問わず必要なものなのかもしれません。

このように、時代を超越したエッセンスを古典から読み取れることは、間違いなく古典の持つひとつの魅力といえるでしょう。

皆様もぜひ、そういった古典作品を見つけてみてください。


リベラル読解論述研究ってどういう授業?


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